概要
経歴
東海第二高、九州東海大を経て2004年自由獲得枠でヤクルトスワローズに入団。主な同期選手は田中浩康、川本良平。
ルーキーイヤーの2005年は一軍キャンプスタート。しかしそこで古田敦也にフォークボールを投げるように要求されながら拒否したため、古田に一喝される一幕もあった。シーズン終盤に一軍初昇格しプロ初勝利をマーク。3年目の2007年は先発として自己最多4勝を挙げた。
2008年は開幕二軍だったが、4月に一軍昇格。そこで中継ぎに回って好投を続け、押本健彦、五十嵐亮太、林昌勇とともにスワローズの中継ぎ陣を支えた。この年は自己最多65試合に登板し、防御率1.39でリーグ2位の29ホールドを挙げた。
翌2009年は不安定な投球が目立って防御率は4点台後半に落ち込んだ。2010年は自己最多73試合に登板し、34ホールドをマーク。2011年は63登板、23ホールド。2012年は怪我のため長期離脱し、7試合の登板に終わった。
2013年も中継ぎ登板ながらチーム事情で先発登板の試合が7試合あり、10月2日・読売ジャイアンツ戦ではプロ唯一の完封勝利を果たしている。2014年途中からは中継ぎ専任となり、2016年は久しぶりの50試合以上の登板となった。
2018年に現役を引退。通算491試合登板は球団歴代5位の記録であった。