ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

夕雲型駆逐艦の19番艦。

Wikipedia:清霜 (駆逐艦)参照

艦これ攻略Wiki:清霜参照


艦暦

1943年
  • 3月16日起工
1944年
  • 2月29日進水
  • 5月16日竣工。横須賀鎮守府籍となり、第11水雷戦隊に編入
  • 6月30日、多摩木曾皐月と共に父島への陸軍輸送任務「伊号作戦」を行う。7月3日に横須賀へ帰投
  • 7月15日、沖縄方面への輸送任務「ろ号作戦」のため、中津湾を出港。第3輸送隊(冬月、清霜、)は南大東島への緊急輸送を行った
  • 7月18日、第3輸送隊は中城湾帰投
  • 8月10日、竹と共にパラオに対する輸送作戦のためを出港
  • 8月18日、名取がサマール島東方水域で米潜水艦ハードヘッドの攻撃を受けて撃沈された。基地航空隊と清霜、竹、浦波が捜索するがを行うが何も発見できず、清霜は8月20日からパラオ輸送任務に向かった(名取の生存者183名は8月31日にスリガオに辿りついた)
  • 8月15日、早霜秋霜と第2駆逐隊を編成
  • 10月18日、リンガ泊地からブルネイへ向かい補給
  • 10月22日、ブルネイを出撃
  • 10月24日、レイテ沖海戦に参加。シブヤン海で米空母艦載機の空襲を受け武蔵が落伍、利根と清霜が護衛を担当するが、両艦とも空襲により損傷する。島風が応援にきて3隻で武蔵を護衛。その後、利根と島風は本隊に合流するために去り、護衛は清霜と浜風(空襲により損傷中)となる。武蔵から乗組員移乗のため横付けの信号が発信されたが、沈没の渦に巻き込まれるため接近できず、沈没後に乗組員の救助にあたった。コロン湾に向かい補給を受けた
  • 10月25日、武蔵生存者の半数をコレヒドール島に揚陸したが、これは武蔵沈没を隠匿するための措置だった
  • 11月8日、第三十四号掃海艇と共に高雄を護衛して、ブルネイから昭南(シンガポール)へ向かう
  • 11月13日、マニラ湾は米空母艦載機の大規模な空襲を受け(マニラ湾大空襲)、停泊中の日本軍艦船が次々と大破着底した。秋霜も転覆・着底し、第2駆逐隊は清霜だけになる。生き残った朝霜初霜、竹はブルネイへ脱出
  • 11月15日、第2駆逐隊に朝霜が編入された
  • 12月14日、伊勢日向足柄大淀、朝霜と共にカムラン湾へ進出
  • 12月24日、ミンドロ島に上陸した米軍を攻撃する「礼号作戦」が発動し、カムラン湾を出撃
  • 12月26日、清霜は空襲を受け、左舷中部に250キロ爆弾が命中し機関停止、航行不能となった。船体全てから火災が発生し、大爆発を起こして沈没した(爆発は米魚雷艇が発射した魚雷の可能性がある)。米軍上陸地点への攻撃終了後、霞と朝霜が清霜の乗組員救助にあたった
1945年
  • 2月10日、除籍

諸元

全長119.3m
全幅10.8m
排水量基準:2077t 公試:2520t
機関出力5万2000馬力
速力35.0ノット
航続距離5000マイル/18ノット
乗員225名
兵装50口径12.7cm連装砲塔×3基 25mm連装機銃×2基 61cm四連装魚雷発射管×2基 両舷用爆雷投射機×1基 手動式爆雷投下台×4基 水圧式爆雷投下台×2基

Wikipedia:清霜 (駆逐艦)参照

艦これ攻略Wiki:清霜参照


駆逐艦清霜をモチーフにした艦隊これくしょんのキャラクター

清霜(艦隊これくしょん)を参照。

関連タグ

大日本帝国海軍 駆逐艦 夕雲型駆逐艦

関連記事

親記事

夕雲型駆逐艦 ゆうぐもがたくちくかん

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 26204

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました