以下、『映画デリシャスパーティ♡プリキュア』のネタバレ記事につき閲覧注意
概要
新たなエネルギーの開発に成功して注目を浴びる、若き天才科学者。
おいしーなタウンにドリーミアを開園し、着ぐるみのキャラクター・ケットシーの姿で園長を務めながら、子供達を無料で招待した。
世間の前では着ぐるみ姿でしか表れないため、本当の姿は謎に包まれている。
子供には優しくする一方、ドリーミアに入ろうとするローズマリーや大人達は一方的に排除し、デリシャストーンの力でぬいぐるみに変えてしまう。
ぬいぐるみになった大人達は、その精神は赤ん坊まで後退してしまい、何も覚えておらず何も考えない真っ白な状態となる。
ケットシーはそれを「浄化」と呼んでおり、汚れた大人達が「純粋」な状態に戻った祝福だと標榜している。
彼は「純粋」であるものをこよなく愛しており、その純粋さは大人になると失われると考えているのだ。
彼の真の目的は、世界中の大人をみんなぬいぐるみにしてしまい、世界を純粋な子供達だけのものに作り替える事である。
ドリーミアは移動型遊園地であり、世界各地を回りながらここに純粋な心を持つ子供達を集めて、その外にいる大人達を消滅させる。これがケットシーの計画であった。そしてドリーミアは子供達だけが乗れるノアの箱舟として作られたのである。
おいしーなタウンを訪れる以前にも既に多くの大人達を「浄化」してきた様で、ドリーミアの内部に落下したゆい達の下には大量のぬいぐるみが敷き詰められていた。上記の実態を考えると、さながら多数の大人達の死体廃棄場というある意味凄惨な光景にも見える。
実のところ、現在のケットシーは自身が忌み嫌う「大人」へと成長してしまっている。それは彼にとってはおぞましい呪いのようなものである。それゆえに現在の彼は子供ウケしそうな猫の着ぐるみを常に身に纏っており、決して本来の姿を表そうとしない。
過去
彼は幼少期から天才的な頭脳の持ち主であり、その頭脳を買われてとある研究所で大人達に協力していた。最初は褒められるがまま様々な発明をして、人々の役に立てると思っていた。
だが、この研究所の正体は「世界征服を企む悪の秘密結社」的な謀略反乱組織の一党の施設であった(この組織の詳細な背景は作中では語られなかった)。
この研究所…いや謀略反乱組織に所属する大人達は彼に自由な研究をさせてはいたが、その成果物が軍事転用できるかどうかでしか価値を評価していなかった。ある程度の年齢になってそれに気付いた彼は大人達に強く抗議するが、「先端科学が夢や理想のために使われるなど子供染みた幻想」として馬鹿にされてしまう。
そんな彼は昔、ゆいと出会っている。
ある雨の日、彼は傘も差さずに極度の空腹状態で街を彷徨っていた。この時の彼は生きる気力を完全に失っていた状態であった。
街が研究所の外にいた理由は細かく語られてはいないが、自分の研究が大人達に利用されていることを知ったことで全てに絶望し家出(というか脱走)したものの、行くあてもなく街を彷徨っていたのだと思われる。
そんな少年をたまたま目にした幼いゆいは、彼を『なごみ亭』へと連れていく。それを拒否する気力も体力も残っていなかった彼は流されるままついていき、ゆいが精一杯作ってくれたお子さまランチを御馳走になった。
笑い方も忘れていた少年は、そのお子さまランチの味に涙し、自分がゆいから受けた笑顔を皆に分けたいという夢を抱く様になる。
そして彼はその夢を実現させるためにはちゃんとした研究施設と環境がないといけないとして、大人達に利用されることがわかっていながらも研究所に戻った。
そしてある時、組織がどこかから入手してきた謎の宝石(実はこれはスペシャルデリシャストーンであった)の研究を行うことになった。この石が人の思いや感情を具現化できることを発見した彼は、石からその力を引き出す装置を作り出すことに成功した。
彼は「これを使えば”世界中の人々を笑顔に”という自分の夢を実現できる」と信じていたが、もちろん組織の大人達はそんなことにこの発明を使うつもりはなく、これを使えば「世界征服も実現できる」と色めきたった。
そのことに対する怒りの感情が装置に反応してしまい、デリシャストーンから引き出された力で研究所の大人達は一人残らず「浄化」された。つまり、ぬいぐるみに変えられたのだ。こうして研究所…いや組織は壊滅した。
自由の身となった彼は、世間に姿を現さないまま天才発明家として様々な発明(特許)を発表して名を挙げていった。
だが、大人達から利用され続けたことで、彼は大人という存在そのものを呪うこととなり、やがて「子供の幸福=大人の排除」という歪んだ認識を持つようになっていたのである。
そして、発明による特許等によって資金稼ぎを行い「世界中の大人を浄化して「子供だけの世界」」を作り出す準備を整えた彼は、計画の要となる遊園地ドリーミアを開設したのである。
本編でのケットシーは自分が成長して大人になりつつあること自体に強い嫌悪を感じている節が見られ、着ぐるみの姿で活動しているのは自分の体が子供ではなくなろうとしている現実からの逃避であるようだ。
大人を憎悪するケットシーと、早く子供から脱却したいと夢見ているコメコメとは、真逆の立ち位置であり、本作ではこの二人の対比が重要なテーマとなっている。
ケットシーは、純粋に大人をかっこいいと信じるコメコメに対して「僕みたいにはなって欲しくない」と呟いている。このつぶやきは「大人になんてならずにずっと子供のままでいて欲しい」と「自分のように大人を嫌うようにはなって欲しくはない」という二通りの解釈ができるが、彼がどちらの意味合いで呟いたのかは視聴した者の受け取り方次第である。
着ぐるみとしてのケットシーの姿は、幼少期のゆいがお子さまランチの旗に描いた猫の絵が元になっている。妖精猫を意味する名前に反して、あまり猫に見えないルックスであるのは、要するに「小さな子供が描いた絵」であったためである。
そもそも「ケットシー」という名前自体が彼の本名ではない可能性もあり(幼少期を描いた場面で彼は名前では呼ばれない)、猫の着ぐるみ姿で活動するにあたってそれに似合ったハンドルネームを名乗っているとも考えられる。
作中でケットシーのことを猫だと認識できた人物は当のゆいとコメコメだけである。ゆいはケットシーの姿を見たときに自分の描いた猫だと気づいたからであったが、コメコメは自分の感性だけでケットシーを猫だと認識した。これにはケットシー本人も「初めて自分のことをわかってくれた」と感激していた(コメコメ役の高森奈津美氏によれば、コメコメがケットシーを猫と認識できたのは「ゆいへの潜在的な理解の深さ」とのこと。そんな高森氏も初見では熊に見えたと話している)。
いくら「子供のため」と理想を掲げているとは言え、ケットシーのやろうとしていることは「自分の発明を軍事転用して世界征服する」という先の自身が壊滅した謀略反乱組織の汚い悪魔同然の大人達と全く同じことである。この矛盾についてケットシーは自覚はしていたようだが、それでも自分からはもう止められないような追い詰められた精神状態であったようだ。
ゆい=キュアプレシャスは上述の旗の絵柄からケットシーがあの日の少年だと思い出し、さらに彼の過去を知って躊躇するも、彼の笑顔を取り戻すべく過酷非情な戦いを挑んでゆく。
終盤には彼の本当の姿が晒されることになるが、それは緑色の長髪のすらりとした美青年であった。
彼の本当の姿が現れた際はプリキュアの放つ光を受けて姿が変化していくような演出になっていたので、もしかすると単に着ぐるみを着込んでいたのではなく、大人たちをぬいぐるみにしたように、デリシャストーンの力で自分の姿を着ぐるみに変えてしまっていたのかも知れない。
関連タグ
ニコ(プリキュア)、マシュー(プリキュア)、ウソバーッカ:映画の敵キャラだが、主役キュアが小さい時に縁があった者たち繋がり。主役キュアがそのことに気づいてショックを受けた等が共通する。