生涯
平安の中期ごろ生年とされる(要は正確な生まれ年が不明)。
源平合戦からの登場で都落ちにも従った。その後、壇ノ浦で敗れ捕まり絶食してこの世を去る。
死ぬ前にかくまってくれた叔父を勘違いで殺してしまったとされるがこれも伝承の範囲内である
・・・というように生年不明ということもあり謎の多い人物で
むしろ史実よりも伝承、民話に出てくるほうが多い人物である。
ウィキからの引用であるが伝承、民話は以下の通り
民話・伝承
景清屋敷(茨城県石岡市貝地2-7-8)
景清塚(茨城県石岡市貝地2-6-14)
景清身代り観音(千葉県いすみ市・清水寺)
尾張・景清屋敷跡、芦沢の井、常福寺(愛知県大府市吉田町)
景清屋敷(三重県伊勢地方北部各地)
景清道(滋賀県湖東地方)
桑実寺の「景清の背比べ石」(滋賀県近江八幡市)
かぶとみち(かぶと公園)(大阪市東淀川区)
景清護身観音、景清の目洗い井戸(山口県周南市・川崎観音)
平景清と郎党の墓(大阪府大阪市淀川区西中島・光用寺)
平家塚(山口県熊毛郡上関町・祝島)
生目神社(宮崎県宮崎市・生目)、景清廟(同・大宮)
景清さんの墓(島根県安来市荒島町東養寺五輪塔)
平景清公の墓(鳥取県東伯郡湯梨浜町長伝寺五輪塔)
といった感じで端は茨城から鹿児島まで・・・ちなみに落人として扱われることは少ない
また、名刀「あざ丸」の所有者とされる。
そのため創作では主人公を務めることも多く能楽においても人気らしい。
景清が登場する(主役)作品は景清物と言われている