近江鉄道220形
おうみてつどうにひゃくにじゅうがた
床下
台枠は在来車であるモハ200形やモハ203形等から流用したものであり、種車と同様の16m級車体である。大元をたどれば小田急1600形の中古車であり、その中でもデハ1601は戦中の1942年製造である。
コンプレッサは国鉄の電車で一般的に用いられたもの、モーターに至っては国鉄の前身である鉄道省の戦前標準型である。もちろん吊り掛け駆動。MG(電動発電機)は南海電鉄の旧型電車のお古という噂も。
部品の中には小田急1600形譲りのものや、果てには大正製のものまで使われている始末。
連結器はシャロン式、アライアンス式、柴田式と各車バラバラで、前の2つは1920年後半に柴田式が開発されて日本の標準的な自動連結器となる以前のものであるから、その古さが想像できる。
しかし、台車は空気バネ台車を採用、ブレーキは最新の電気指令式ブレーキを採用するなど、新旧の技術や機器が入り交じったキメラのような電車に仕上がった。
もう一度記すが、一応は平成生まれの電車である。これでも。そして、モハ226号は日本最後の吊り掛け駆動で竣工した旅客電車となった。
登場
近江鉄道は全体的に田舎路線であり、本線の八日市以南は特に乗客が少なかった。そこで、LE10形レールバスを導入し、コスト削減を図ったが、LE10では輸送力が低すぎるなど数々の問題点が生じてしまった。
そこでLE10の置き換えと旧型電車の体質改善を行うために登場したのがこの220形電車である。
運行
220形は輸送量の少ない多賀線や本線の八日市-貴生川間などを中心として近江鉄道の全線で運行された。
最初期はLE10との併結運用もあったそうである。しかし、LE10はディーゼルカー、220形は電車である。総括制御はLE10にしか無かったため、先頭に立った側の動力で引っ張っていたと思われる。当時を知る方の加筆求む。
引退
機器が旧型であったことや、220形より後に導入された西武の中古車である20m級2両編成の大型車に比べると朝夕のラッシュ時や休日では16m級1両では収容力に難があった事と、種車の台枠や機器類が老朽化した事から、比較的輸送量の多い八日市線から撤退が始まった。
その後は徐々に運用が縮小され、ついに2015年3月のダイヤ改正をもって定期運用から引退した。そして同年5月末の220形メモリアル列車をもって営業運転から退いた。
定期便の最終運用は奇しくもJRダイヤ改正の前日で、当日はトワイライトエクスプレスの最終便が琵琶湖の対岸の湖西線を通過しており、通過後に新快速などを乗り継げば同車の最終運用に間に合ったため、ファンが別れに駆けつけたそうである。
2018年12月、近江鉄道ミュージアムが閉館することとなった。2019年に入るとミュージアム展示車両を中心に使用されていない車両を解体することとなり、220形も221~225までの車両が解体場へと送られ、現存するのは事業用車として保線用貨車の牽引などで引き続き使用される226号のみとなった。
221
220形最初の車両。
当初は窓が二段の開閉式だったそうだが、まもなく他車と同じ一枚窓に改造されている。
ここに二段窓当時の写真が掲載されている。
当初は他の220形と同じく旅客運用についていたが、機関車が老朽化した上、ATS未設置などの基準に適合せず本線走行が事実上不可能になったため、この221に抵抗器の追加等を行って低速運転に最適化したりジャンパ栓受を追加し、機関車代用として使用していた。
2016年春に226を機関車代用に改造することによって221は使用されなくなり、2019年1月16日に解体場へと送られた。