大正時代・昭和時代初期の童謡詩人。山口県下関市出身。2歳下の弟は劇団若草の創設者である上山雅輔(かみやま・がすけ、本名は上山正祐〈うえやま まさすけ〉)。
本屋の運営に携わる家族の下で育ったが、彼女の存命時には西條八十などの大御所が彼女の才能に目を付けた以外は後世ほど知名度が高くなく、薄幸な人生だったとされている。
家族の経営する店員の男性と婚姻関係にあったが、夫が恋愛沙汰で家族に煙たがられるようになったのを契機に家族間で孤立。夫からは創作や文人との交流に関して、あらゆる束縛を受けるなどの厳しい仕打ちに苦しみ、離婚後の一人娘の親権を巡るトラブルによる心労から睡眠薬を飲んで自殺を図り、26歳の若さでこの世を去った。
みすゞの没後、娘は母親に引き取られ、2015年現在も彼女は神奈川県で元気に暮らしているとのこと。
これ以降、彼女の作品がほとんど注目される機会はなかったが、ある日早大生が偶然目にした彼女の代表作「大漁」に感動した彼女の詩に関心を持ったのを機に、彼女の作品が再びスポットライトを浴びるまでのステップが始まった。この学生は矢崎節夫(やざき せつお、1947年 - )という名前で、卒業後は児童文学研究家となった。そして、矢崎氏の尽力の結果、彼女の実弟や娘など、みすゞの遺族の協力を得ることが出来、これまで断片的であった彼女の全作品の原稿が発見。こうしてようやく彼女の作品が世間の光を浴びるようになり、現在も多くの読者を魅了し続けている。
代表作に「わたしと小鳥とすずと」「大漁」「こだまでしょうか」などがある。
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みすゞ/みすず ACジャパン 詩人
山陰本線:仙崎駅(出生地最寄駅)~下関駅(死没地最寄駅)間で観光列車「みすゞ潮彩」が運行されている。