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MS406

えむえすよんまるろく

戦間期のフランス戦闘機で、MSとは「モラーヌ・ソルニエ」という開発元の名前である。本国フランスでの活躍はパッとしなかったが、フィンランドに売られた機が大活躍しており、スイスではライセンス生産も行ってP-51が揃うまでの主力を務めた。
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敗者の行く末

1918年11月、ロシア帝国に引き続き、ドイツ帝国でも革命が勃発。
いずれも長引く戦争に嫌気がさし、民衆や兵士がこれに反対して起きたものであった。これにより帝政は続行できなくなり、ワイマール体制が成立して終戦へと至った。しかし政治体制を丸ごとひっくり返した革命のこと、その後も混乱は続き、とくに賠償に関する部分はナチス政権になるまで後を引くことになる。

終戦後のワイマール政権に科されたものも大きかった。
資金だけでなく、漁船や商船、建築資材や燃料、果ては種馬や乳牛までが「直接失われたものに対する賠償」として持っていかれた。直接戦場になったフランス等にとっては、これも戦後復興のためには必須なものだったとはいえ。

そうしてすべての参戦国が、しかも一気に賠償を請求したものだから、賠償金だけに限ってもドイツ国内では超インフレになってしまう。これにより社会不安・不満は更に高まり、結局ワイマール政権は混乱を収束させることができずにナチス政権が成立することになる。

なおベルサイユ条約で、新生ドイツに膨大な賠償金を負わせたフランスではあったが、それも領土の荒廃を考えれば当然の事であった。『大戦争』の激戦場と聞いて即思いつく場所は、やはりソンムなどのフランスであり、こうした古戦場の一部は21世紀になった現在でさえ、当時の不発弾や化学物質により立ち入り禁止になったまま残されている。

表向きの『平和』

そんなフランスが「大戦争」の後に直面した事は、やはり荒廃した国土の復興と、何より若年齢層男子の不足という問題であった。それは当時、30歳以下の人口の25%が失われたといわれ、しかもこれに倍する戦傷者は含まれていない。

という事は、戦傷者の半分はまだ働けるにしても、それでも当時の働き盛りの約半分が失われたことになるのである。これは戦後の軍事政策に大きな影を落とし、特にそれまでのような大規模な徴兵による陸軍戦力の増強は望めなくなってしまった。

兵隊が足りなくて国防が手薄になる?
国防とは要するにカベを作る事だ。だったら本当にカベを作って代わりにすればいい!
こうして「マジノ線」は作られた。1930年から始まった建設は、対ドイツ世論を背景に急速に進められ、1936年には文字通り独仏国境のすべてを要塞で結ぶに至った。

これは108もの要塞をコンクリート壁と地下道で結び、さらにこの中に連絡用の地下鉄も通した。要塞砲には各種大砲を備え、さらに砲塔の幾つかは格納式になっているという、常に景観との調和も忘れないフランス的ナチュラル志向の発想(?)で固められた世紀の大要塞であった。

これさえあれば国防はカンペキ。
戦争だけでなく折からの人口減少も手伝って、この大要塞を対ドイツ国防の要と頼みきってしまったのは、無理もなかったのである。

戦間期のフランス軍

そういうわけで戦間期のフランス軍は、政治の混乱もあって大きな変革には至らなかった。
いや、至れなかったというのが正しいだろうか。
何せ戦争で国土のかなりの部分は荒れ地と化し、国家予算もこの復興費用が大きな負担になってしまった。その上マジノ線にはかなりの費用が掛かっており、さらに費用を出して変革する余裕も無い。

この辺りのフランスは『大戦争』を経験した事からくる戦争への嫌悪と平和への楽観、そしてドイツへの警戒感が渦巻いており、それが政策にも反映されて、1930年代初頭は政権交代が毎年のように相次いだ。中道政権が極右政権に即交替するような状況では、軍隊も統一した方針で運用されず、また防御に主眼をおいていたせいか、戦車などもルノーR35やらホチキス軽戦車のように、やたら重防御なものが登場している。

戦闘機もまた優柔不断の犠牲者だった。
このMS406も初飛行したと思ったら、量産まで3年も「お預け」を喰らわされている。
そしてやっと生産が始まったと思いきや、翌年にはもっと性能の良いD.520が登場したり、世代交代もまったく上手くいかなかった。

そしてフランス侵攻。
フランス軍は善戦こそしたものの、このように政治の混乱により、かつての強大な戦闘力をまったく失ってしまっていたのである。

進めモラーヌ!

とはいえ、1930年代半ばの戦闘機としては、MS406はよく出来た方である。
参考までに同時期の戦闘機と並べて列挙すると、

・MS406
エンジン:イスパノ・スイザ12Y31(840ps)
最大速度:485km/h
武装:20mm機銃1挺・7.5mm機銃2挺

・Bf109D
エンジン:ユモ210(680ps)
最大速度:約470km/h
武装:7.9mm機銃4挺

・I-16タイプ24
エンジン:シュベツォフM-63(1000ps)
最大速度:約470km/h
武装:20mm機銃・7.62mm機銃各2挺

・フォッカーD-21
エンジン:ブリストル「マーキュリー」(645ps)
最大速度:395km/h
武装:7.7mm機銃4挺

・九七式戦闘機
エンジン:ハ一乙(650ps)
最大速度:約475km/h
武装:7.7mm機銃2挺

となり、この時点ではまだ決して性能で劣っていたわけでは無い。
特に速度は最高につけており、30年代時点でのフランス技術が決して劣ってはいなかった事を窺わせる。ただフランス戦の頃にはBf109はE型に進化しており、性能面では後れをとってしまった。

また、冬戦争つながりでフォッカーD-21と比較すると、最大速度では約90km/h速く、7.7mm(7.5mm)機銃こそ少ないものの、こちらは20mm機銃HS.404(=エリコンFF)をモーターカノン方式で備える。このころ主要な戦闘機は7.7mm(級)機銃のみを備える機も多かったから、これは大きな差である。

モランの実戦

だが、性能そのものは一流であり、フィンランドに供与された機でも『飛行性能は優秀で、快適な操縦性をし、すぐにフィンランド人の人気を集めた』とあるように、かなりの好評価であった。その優秀さも手伝ってか、フランス侵攻では15秒で3機のBf109を撃墜した記録もある。

「北の国から -’39冬-」

一方冬戦争の始まりにより、かねてからフィンランドに同情的だったフランスは、空軍主力だったMS406を30機ほど引き抜き、12月中には船積みしてフィンランドへ送り込んだ。これは1月には到着し、フィンランドはさっそく第28戦隊を組織してビープリー防衛に投入した。

しかし、いかにもフランス人の作品らしい、この芸術品のような戦闘機は、とうてい極地の冬に耐えるに足らなかった。確かに優秀ではあったのだが、いかんせん脆弱でもあったのである。

まず防弾が全く無かった。
ある時などは、コクピットを貫通した銃弾で電気回路が故障し、モーターカノンが勝手に射撃し始めた。またある時は、フラップ・車輪が勝手に降りた。根本的に「寒さ」を考慮していない設計である上、内部の作りも複雑で、被弾が即連鎖的故障の危険を孕んでいたのである。しかも油圧系統は十分予熱しないと特に故障が多く(複雑なので十分な予熱もできなかった)、常に重大な事態になりかねなかった。

これは本国でも問題になっていた事でもあるが、20mmモーターカノンにも故障は多かった。
あんまり頼りにならないので、結局は封印してソ連機と対決するハメになってしまった。参考図書にはこれをさして『いわば右手を使わないボクサーのようなものだったが、寒いとすぐに右手がこごえてしまう弱い体質だから仕方ないのだ』と表現している。

それでもフィンランド人はめげずに戦い、ソ連機を20~30機は撃墜したといわれている。
ただこれはフランス人の期待に全く応えるものではなく、結局それなりの無理もしたのに武器輸出の効果は無かったとして、当時のダラディエ内閣は総辞職を余儀なくされた。

「北の国から -’44夏-」

限界への挑戦

その後、フィンランドはナチスドイツに接近してゆき、後継にはBf109が導入されていく事になった。MS406は性能的にも第一線で通用しなくなってしまったが、しかし数は割合そこそこ保有している訳で、どうにか強化して使えないかと試行してみることになった。

担当したのは、これまで敵味方問わず多くの航空機を再生し、前線に再び送り出してきたタンペレの国営航空機工場である。ドイツの対ソビエト戦線こと、東部戦線では一進一退の攻防が繰り広げられていたが、ドイツは占領したソビエトの工場で多くの航空機用エンジンを分捕っていた。

これがクリモフM105Pエンジン、基をただせばイスパノ12Y31と系統を同じくするもので、しかもこれは東部戦線の強敵として知られたLaGG-3のエンジンである。MS406は、まさに強敵の心臓を我が物とすべく、必死の強化で応えたのであった。

「オバケ・モラーヌ」

M105Pは、それまでの12Y31よりシリンダー容積と圧縮比を拡大したもので、出力ではおよそ3割増し、1100馬力を発揮する。これまで通りプロペラ回転軸に機銃を内蔵でき、重量も出力も大分変わった。しかし装着用の穴は全く一致しており、エンジン交換する感覚でポン付けできたのである。

ヒトラーはこのエンジンを、200台ほどフィンランドにくれてやった。
どうせドイツには自前の(自慢の)エンジンがあるし、敵方のエンジンなどあっても邪魔なだけだ。しかしタンペレに到着した頃には紛失したか、それともサボタージュに遭ったのか、冷却・排気装置は欠品になっていた。が、そこは工場の技師が工夫してBf109用を流用した。

武装もBf109同様、MG151/20装備を考えていたのだが、改造全機に適用するには数が少ないため、これまた分捕り品のベレシン12.7mm(UB)機銃を装備することにした。冬使うのなら、凍り付くことも考慮して作られたソ連製のほうが都合がいいだろう。また、UBはMG151/20(42kg)の約半分の重量(21kg)なので、せっかく調整したバランスも再調整する必要が出てくる。そこで冬戦争で指摘された問題、コクピット背面装甲を追加すると、重心問題はいっぺんに解決してしまった(!)

こうして生まれ変わったMS406を「メルケ・モラーヌ」、あるいは「ラグ・モラーヌ」と呼ぶ。最大速度で40km/h程良くなり、上昇率も向上、上昇限度も12000mにまでなった。惜しむらくは登場が遅かった事で、44年6月から登場しても、もはや活躍する場はほとんど残ってなかった。
だが強化の効果は明らかで、本家LaGG-3よりも軽量なおかげで格闘戦は有利だったと伝えられている。

・「メルケ・モラーヌ」性能諸元
エンジン:クリモフM105P(1100馬力)
最大速度:523km/h
武装:12.7mm機銃1挺・7.5㎜機銃2挺(MS410ベースなら4挺)

主な派生型

MS405

原型機。エンジンは12Ygrs(860ps)。

MS406

12Y31エンジンを搭載した原型機。
主翼の設計を見直して軽量化されている。

MS406C-1

フランス空軍で採用されたMS406の正式な型番。詳細は上記のとおり。
冬戦争の折に、またはフランス降伏後にカーチス・ホーク75ともどもフィンランドに引き渡された。

MS410

MS406の主翼を再設計して機銃を増設し(7.5mm機銃4挺)、エンジン排気管を推進式とするなどした性能向上型だが、実際には主翼だけを変更したものが生産された。生産が始まったばかりでフランスが降伏し、完成した機もほとんど引き渡されなかった。(その後ヴィシー政権下で運用)

フランス降伏後にフィンランドに引き渡された機には、この規格の機も混じっている。
もちろんその後はメルケ・モラーヌに改修されるが、特に呼び分けはしていなかったようだ。

D-3800

スイスでライセンス生産されたもの。
MS405の機体に12Y31エンジンを組み合わせ、プロペラに機銃、無線機をスイス国産品に置き換えている。試作機8機・生産型74機が1940年8月までに納入され、1942年には予備パーツからさらに2機を製作。1943年には冷却・油圧機構をD-3801同様へ改造した。

D-3801

フランスで開発されていた強化型MS406を参考に、エンジンをライセンス生産した12Y51(1050ps)とし、機銃も国産のベルト給弾式機銃としたもの。性能は向上し、最大速度は535km/hへ。
207機生産、戦後に予備部品より17機を製作。

メルケ・モラーヌ(ラグ・モラーヌ)

上記のようなフィンランド独自の改修型。
1947年にパリ条約が発効すると空軍戦力は大いに制限される事になり、苦労して改修したこの機は、残念ながら殆ど使わないまま廃棄せざるを得なくなってしまった。

アムール・モラン!

戦間期のフランス機という事で、何かと中途半端なイメージのあるMS406である。
しかし1930年代の機として性能的には全く劣るものではなく、ただ残念な評価に留まっているのは、当時のフランス政治に付きまとった優柔不断のイメージによるものが大きいのだろう。

同じく冬戦争で活躍したフォッカーD-21と比べても、引き込み式車輪を採用するなど、先進性には遅れをとっておらず、実際の性能も一級品であった。しかもフォッカーD-21とは打って変わって、こちらはエンジン交換による性能向上に成功し、日々敗色が濃くなり続ける戦場を立派に支え続けた。激しくなる戦争は戦闘機の世代交代を大きく速め、43年頃になると同期の戦闘機はほとんど姿を消していたが、強敵の心臓を移植することで生きながらえた。

MS406が、フランス人の予想を超えて戦場に在り続けたのは間違いないだろう。
それには幾つか幸運に支えられた経緯はあったものの、何より基がしっかりしていたからこそ出来た事は疑いない。
やはり、MS406は良くできた戦闘機だったのである。

参考資料(wikipedia)

「北欧空戦史 ―なぜフィンランド空軍は大国ソ連空軍に勝てたのか」(HOBBY JAPAN軍事選書)
MS406
Keyのミリタリーなページ(MS406)
Morane-Saulnier M.S.412/ D-3801
The Morane-Saulnier MS.406 also MS.405 and MS.410

UB(機関銃)
MG151

戦争と革命の時代・ロシア革命、ドイツ革命・ナチスドイツ
第一次世界大戦
D.520
フランス第3共和政
20世紀のフランス
マジノ線

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