概要
フランスのモラーヌ・ソルニエ社が第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期に開発した戦闘機。
1934年7月、フランス軍に採用されたMS405の改良型として、1938年より大量生産が開始された。
低翼単葉、引き込み脚、密閉風防の近代的な戦闘機だが、胴体後部は羽布張りとなっている。
フランスはドイツとの開戦早々降伏してしまい、本国での活躍の機会は少なかった(ロベール・ウィヤム大尉が15秒で3機のBf109を撃墜したという記録がある)が、フィンランドではソ連軍相手に大活躍した。
スイスでは改良型のMS412と共にライセンス生産が行われ、Bf109とともに第二次世界大戦中の主力戦闘機であった。
同時期の各国戦闘機との比較
MS406(1938年)
エンジン:イスパノ・スイザ12Y31(840ps)
最大速度:485km/h
武装:20mm機銃1挺・7.5mm機銃2挺
Bf109D(1938年)
エンジン:ユモ210(680ps)
最大速度:約470km/h
武装:7.9mm機銃4挺
I-16タイプ24(1939年)
エンジン:シュベツォフM-63(1000ps)
最大速度:約470km/h
武装:20mm機銃・7.62mm機銃各2挺
フォッカーD-21(1937年)
エンジン:ブリストル「マーキュリー」(645ps)
最大速度:395km/h
武装:7.7mm機銃4挺
九七式戦闘機(1938年)
エンジン:ハ一乙(650ps)
最大速度:約475km/h
武装:7.7mm機銃2挺
冬戦争
フィンランドとソ連との間で冬戦争が始まると、かねてからフィンランドに同情的だったフランスは、空軍主力だったMS406を30機ほど引き抜き、12月中には船積みしてフィンランドへ送り込んだ。1月には到着し、フィンランドはさっそく第28戦隊を組織してビープリー防衛に投入した。
MS406はフィンランドに供与された機の中でも『飛行性能は優秀で、快適な操縦性をし、すぐにフィンランド人の人気を集めた』と好評価された。
しかし、この芸術品のような戦闘機は脆弱で極地の冬に耐えられなかった。根本的に「寒さ」を考慮していない設計である上、内部の作りも複雑で、被弾が即連鎖的故障の危険を孕んでいたのである。しかも油圧系統は十分予熱しないと特に故障が多く(複雑なので十分な予熱もできなかった)、常に重大な事態になりかねなかった。
また、防弾が全く無かった。ある時などは、コクピットを貫通した銃弾で電気回路が故障し、モーターカノンが勝手に射撃し始めた。またある時は、フラップ・車輪が勝手に降りた。
20mmモーターカノンにも故障は多かった。
あんまり頼りにならないので、結局は封印してソ連機と対決するハメになり、『いわば右手を使わないボクサーのようなものだったが、寒いとすぐに右手がこごえてしまう弱い体質だから仕方ないのだ』と評された。
それでもフィンランド人はめげずに戦い、MS406はソ連機を20~30機は撃墜したといわれている。
ただこれはフランス人の期待に全く応えるものではなく、結局それなりの無理もしたのに武器輸出の効果は無かったとして、当時のダラディエ内閣は総辞職を余儀なくされた。
メルケ・モラーヌ
冬戦争後、フィンランドはナチスドイツに接近しBf109を購入した。
二線級となったMS406だが数はそこそこ多く、強化して使う方法が試行された。
ドイツは占領したソビエトの工場でエンジン「クリモフM105P」(ラボーチキンLaGG-3戦闘機用)を分捕っていたが、これはイスパノスイザ製エンジンを基に発展したもので、12Y31と系統を同じくするものだった。フィンランドはこれをドイツから譲り受けた。
M105Pは12Y31より出力はおよそ3割増しの1100馬力を発揮する。これまで通りプロペラ回転軸に機銃を内蔵でき、重量も出力も大分変わった。しかし装着用の穴は全く一致しており、エンジン交換する感覚でポン付けできたのである。冷却・排気装置は欠品になっていたため、Bf109用を流用した。
改造を担当したのは、これまで敵味方問わず多くの航空機を再生し、前線に再び送り出してきたタンペレの国営航空機工場である。
武装もBf109同様、MG151/20装備を考えていたのだが、改造全機に適用するには数が少ないため、これまた分捕り品のベレジン12.7mm(UB)機銃を装備することにした。冬使うのなら、凍り付くことも考慮して作られたソ連製のほうが都合がいいだろう。
また、UBはMG151/20(42kg)の約半分の重量(21kg)なので、せっかく調整したバランスも再調整する必要が出てくる。しかし冬戦争で問題となっていたコクピット背面装甲を追加すると、重心問題は解決した。
こうして生まれ変わったMS406は「メルケ・モラーヌ」、あるいは「ラグ・モラーヌ」と呼ばれた。
最大速度で40km/h程速く、上昇率が向上、上昇限度も12000mにまでなった。強化の効果は明らかで、軽量なおかげで格闘戦では有利だった。
惜しむらくは登場が遅かった事(1944年6月から就役)だが、継続戦争の最後の3ヶ月という最も貴重な時期において爆撃機の護衛、自ら爆装しての出撃など、当時の主力であるBf-109では埋め切れない戦力の一翼を担う働きをした。
フォッカーD-21との比較
同じく冬戦争で活躍したフォッカーD-21と比較すると、最大速度では約90km/h速く、7.7mm(7.5mm)機銃こそ少ないものの、こちらは20mm機銃HS.404(=エリコンFF)をモーターカノン方式で備える。このころ主要な戦闘機は7.7mm(級)機銃のみを備える機も多かったから、これは大きな差である。
また、フォッカーD-21はMS406と違い、エンジン交換による性能向上はできなかった。
主な派生型
MS405
原型機。エンジンは12Ygrs(860ps)。
MS406
12Y31エンジンを搭載した原型機。
主翼の設計を見直して軽量化されている。
MS406C-1
フランス空軍で採用されたMS406の正式な型番。詳細は上記のとおり。
冬戦争の折に、またはフランス降伏後にカーチス・ホーク75ともどもフィンランドに引き渡された。
MS410
MS406の主翼を再設計して機銃を増設し(7.5mm機銃4挺)、エンジン排気管を推進式とするなどした性能向上型だが、実際には主翼だけを変更したものが生産された。生産が始まったばかりでフランスが降伏し、完成した機もほとんど引き渡されなかった。(その後ヴィシー政権下で運用)
フランス降伏後にフィンランドに引き渡された機には、この規格の機も混じっている。
もちろんその後はメルケ・モラーヌに改修されるが、特に呼び分けはしていなかったようだ。
D-3800
スイスでライセンス生産されたもの。
MS405の機体に12Y31エンジンを組み合わせ、プロペラに機銃、無線機をスイス国産品に置き換えている。試作機8機・生産型74機が1940年8月までに納入され、1942年には予備パーツからさらに2機を製作。1943年には冷却・油圧機構をD-3801同様へ改造した。
D-3801
フランスで開発されていた強化型MS406を参考に、エンジンをライセンス生産した12Y51(1050ps)とし、機銃も国産のベルト給弾式機銃としたもの。性能は向上し、最大速度は535km/hへ。
207機生産、戦後に予備部品より17機を製作。
メルケ・モラーヌ(ラグ・モラーヌ)
上記のようなフィンランド独自の改修型。
1947年にパリ条約が発効すると空軍戦力は大いに制限される事になり、苦労して改修したこの機は、廃棄せざるを得なくなってしまった。しかし必要な時期に必要な戦力で登場し、あるべき役割は果たした。
エンジン:クリモフM105P(1100馬力)
最大速度:523km/h
武装:12.7mm機銃1挺・7.5㎜機銃2挺(MS410ベースは4挺)
関連タグ
終末のイゼッタ……作中主人公側の主力戦闘機として登場。精緻な3Dモデリングで空を舞う本機を見ることのできるほぼ唯一の日本語作品
外部リンク
「北欧空戦史 ―なぜフィンランド空軍は大国ソ連空軍に勝てたのか」(HOBBY JAPAN軍事選書)
Morane-Saulnier M.S.412/ D-3801
The Morane-Saulnier MS.406 also MS.405 and MS.410