概要
任天堂とソニーが共同開発していた試作機の一つ。SFC用カセットと、スーパーディスクと呼ばれるCD-ROMソフトの両方を扱える互換機(SFC版ツインファミコン)になる予定だった。しかし、諸事情(後述)で計画が頓挫した事で販売品としては完成しなかった。
試作機にはグレーのものと白色のものが存在する。後年発見された後者は幻の「任天堂プレイステーション」として注目されており、実際にスーパーファミコンのソフトが起動できている。この幻のプレイステーションはオークションで競売にかけられ、SCE設立者によって36万ドル(日本円にして約3800万円)で落札された。
互換機である為、上記の通りSFCカセットはそのまま動くようだが、CD-ROMドライブは開発ライブラリ(仕様書含む)が一緒に無かったため、発見当初はそれで何かできるワケではないようだったが、独自解析でCD-ROMから何かしらのプログラムを不完全ながらも動かせた様子。
なお、SFCと接続するタイプのスーパーファミコンCD-ROMアダプタはコンセプトアートや各種雑誌の予想図ぐらいでしか描かれておらず、実際に接続型のプロトタイプが存在したのかは不明。
サテラビュー本体はCD-ROMアダプタ部分の筐体を再利用かつリデザインしたものではないかとの説もある(もしスーパーディスクが実現していたら、サテラビューを取り付けられなかった可能性がある)。
計画破綻の理由
これは諸説あるが、下記の問題があったためとされている。
CD-ROMドライブの読み込み速度が不十分だった
当時、CD-ROMドライブを採用した家庭用ゲーム機は総じて読み込み速度が遅く、任天堂はこれを問題視していた。その読み込み時間への拘りは、次世代機のNINTENDO64が90年代後半に登場したゲーム機としてはほぼ唯一のカセット採用機であることからも窺える。
3D性能
実はCD-ROMドライブには32bitグラフィックスチップを搭載する予定であり、当時の任天堂はこれを利用して3Dゲームを作ろうとしていた。
しかし、スーパーFXチップによってCD無しで実現してしまい、任天堂も次世代機の完成目途が立てばCD-ROMアダプタの存在意義はなくなる旨の発言をしていた。
スーパーディスクソフトの権利関係に問題があった
当時、CD-ROMを採用した家庭用ゲーム機は前述のロード時間の長さに加え、価格面の不利が足かせとなり普及しているとはいいがたい状態であった。このため、任天堂はCD-ROM(スーパーディスク)のライセンスやロイヤリティを重視しておらず、かなりソニーに有利な契約内容(ライセンスはソニーが管理)だったとされている。しかし、アメリカ合衆国におけるCD-ROM市場の動向から、将来的に任天堂の首を絞めかねないとして、米国法人から契約破棄を持ち掛けられたとされている。
ソ二-が自前でソフト開発
上記の権利関係に加えて、ソニーが独断でソフト開発をしたことも契約破棄の一因と言われている。
ソニーはハード開発のみを行いソフトにはノータッチの契約であったが、自前のソフトを無断で開発して実演していたという。それを知った任天堂社長(当時)の山内溥氏は激怒した。
CD-ROMのコピー問題
この当時はまだ民生用のCD-R並びにCD-Rドライブは普及していなかったが、CD-ROMを扱う同世代のゲーム機のソフトにはプロテクトが存在していなかった。後にCD-Rが普及した頃に誕生したソニーのプレイステーションやセガのセガサターンではコピー問題がプロテクトを施しているにもかかわらずメーカーを悩ます問題になっていた。
そもそも大きなプロジェクトではなかった。
家庭用ゲーム機業界の両雄という後の両社の関係から、大がかりなプロジェクトだったような印象を持たれがちだが、実は任天堂とソニーはそこまで力を入れていたわけではなく、ある人物以外はさほど入れ込んでいなかったとされている。
その後
計画中止に伴い、ソニーは独自のゲーム機の開発に取り掛かることとなる。
一方の任天堂はフィリップスとCD-i互換機を共同開発すると発表した。こちらも機器そのものは世に出ることはなかったが、代わりにCD-iを利用したゲームが発売された。なお、それが黒歴史として語り継がれることになるのはまた別のお話。
任天堂がディスクメディアをようやく採用したのは2001年発売のゲームキューブからであり、なおかつDVDの派生技術であった。
関連タグ
サテラビュー…28PIN拡張コネクタを使用する周辺機器
ツインファミコン…FCカセットとディスクシステムを一体型にしたモデル
ゲーム機大戦…ターニングポイントの一つとして語られている。