カヌー東京オリンピック(1964年)日本代表選手で現在カヌー講師の本田大三郎を父に持つ。
またプロサッカー選手、本田圭佑の実父とは、従兄弟の間柄にあたる。
中学時代から自衛隊の練習に参加するなど、早くからレスリングの素質を見出され、日大在学時にロサンゼルスオリンピックレスリング・フリースタイル100kg級で5位入賞し(高校・大学の同窓に金メダリストの小林孝至がいる)、自衛隊体育学校へ進んだ。
3度のオリンピック出場や全日本選手権8度優勝など日本レスリング史上、最高の実績を持つ一方、父から「レスリングで優勝できなければ大相撲」へ入門させると脅され練習に励んだり、自衛隊体育学校時代に後輩から「兵隊やくざ」と呼ばれていたエピソードもある。
1993年全日本プロレス入団、同年10月8日、大分県立荷揚町体育館大会でテッド・デビアス相手にデビュー。
2000年に三沢光晴が中心となって大量離脱、プロレスリング・ノアに参加。
ノアでは若手選手のコーチ役もしていたが2009年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」となりノアを退団、フリーランスとなった。
その後、自ら経営するレスリングスクールの傍ら、メジャー・インディー問わず他団体へ参戦。
シングル王座に挑戦したがタイトルに縁遠かった。(アジアタッグ王座、GHCタッグ王座、WEWタッグ王座は取得したが)
料理が得意。また酒豪でもある。また「三度の飯より釣りが好き」と公言するほどの釣りキチで、月間釣り情報誌で連載を持っている。
更に大の『ケロロ軍曹』ファンとしても知られ、『ケロロ軍曹』を見て感動し涙を流したこともある。