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高橋道雄

たかはしみちお

日本将棋連盟に所属するプロ棋士である。オタク棋士としても有名。
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棋士プロフィール編集

棋士番号142
生年月日1960年4月23日(62歳)
出身地東京都足立区
師匠佐瀬勇次名誉九段
段位九段
保持タイトル-
竜王戦3組(1組-23期)
順位戦C級1組(A級-13期)
好きなものけいおん!AKB48

1980年(昭和55年)にプロ入りした棋士、いわゆる「55年組」の一人である。

経歴編集

年度主な成績
1975年度5月、佐瀬名誉九段門下として6級で奨励会に入会。
1980年度6月4日、四段昇段(プロデビュー)。
1983年度第24期王位戦では初の王位リーグ入り。王位リーグ白組では田中寅彦七段、森安秀光八段、大山康晴十五世名人谷川浩司名人青野照市八段といった錚々たる面々を相手に5戦全勝で白組優勝。挑戦者決定戦でも紅組優勝の桐山清澄八段に勝利し、挑戦権を獲得した。内藤國雄王位との七番勝負も4勝2敗で制し、王位を奪取。五段棋士のタイトル獲得は当時の新記録であった(後に、羽生世代の棋士である郷田真隆四段が谷川王位からタイトルを奪取し記録を更新)。
1984年度第25期王位戦では加藤一二三九段に3勝4敗で敗れ失冠。
1985年度第26期王位戦で4連勝のストレートで王位を奪回した。
1986年度第27期王位戦では自身の兄弟子である米長邦雄十段の挑戦を受けるも、4連勝のストレートであっさり防衛。王位を3期獲得したため九段昇段の規定を満たしたものの、当時はまだ八段に昇段していなかったため持ち越しとなった(当時はタイトル2期での八段昇段規定がなかった上に、単年度での連続昇段・飛び付き昇段は認められていなかったため)。第12期棋王戦でも挑戦者となり、谷川棋王との五番勝負を3勝1敗で制し、棋王を奪取。自身初の二冠を達成した。これらの実績により当該年度の将棋大賞における、最優秀棋士賞を受賞した。
1987年度第28期王位戦で谷川九段の挑戦を受け1勝4敗で失冠するものの、第26期十段戦で挑戦者となり、福崎文吾十段との七番勝負を4連勝し二冠に復帰した。第13期棋王戦では谷川王位のリターンマッチを受け、2勝3敗で敗れ失冠した。ちなみに十段戦は翌年から竜王戦へと発展的解消したため高橋の十段防衛戦は行われなかった(第1期竜王戦では準決勝シードであったが敗れ十段を自動的に失冠した)。
1988年度第9回将棋日本シリーズに十段として登場し、棋戦初優勝を果たす(優勝時は七段)。第47期順位戦では8勝3敗2位の成績となり、A級昇級と八段昇段を決めた。なお、九段昇段は1986年時点で内定していたため、翌1990年に九段へ昇段する。
1992年度第50期A級順位戦では6勝3敗となり、4名による挑戦者決定プレーオフとなる。プレーオフ決勝で谷川竜王を下し、名人戦の挑戦者となる。七番勝負では第4局まで3勝1敗でリードし、中原誠名人を追い詰めた。しかし、その後3連敗し名人位奪取はならなかった。
1995年度第21期棋王戦で挑戦者となり、当時七冠王であった羽生善治棋王に挑戦。五番勝負は3連敗で敗退した。

将棋界一のオタク編集

  • 好きなものの項に書かれている通り将棋界一のオタクであり、「けいおん!に出会って人生が変わった」と公言している。
  • 実際(?)、けいおん!がまんがタイムきららにて連載され始めた2007年から成績が上がり、前述の通り2008年にA級順位戦復帰、2009・2010年とA級順位戦で勝ち越している。
  • その後ラブライブにもはまっており、ライブにも参加したとのこと
  • またAKB48のファンでもあり、有吉反省会にてそのオタクっぷりが取り上げられた事もある。
  • なお、ニコニコ動画の将棋イベント(詰将棋カラオケ)において、けいおんの楽曲であるGO!GO!MANIACを熱唱し、同時に出題された詰め将棋27手詰めを見事解いている。

↓参考動画

関連タグ編集

将棋 棋士 囲碁・将棋棋士の一覧 55年組

オタク ドルオタ アニオタ けいおん! AKB48

中村修 島朗 南芳一 塚田泰明…いわゆる55年組のメンバー。

関連リンク編集

高橋道雄|棋士プロフィール|日本将棋連盟

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