ドラゴン紫龍
どらごんしりゅう
龍星座の紫龍(ドラゴンのシリュウ)は『聖闘士星矢』に登場するキャラクター。
概要
演者
鈴置洋孝 | TVアニメ版〜OVA冥王ハーデス十二宮編まで、ゲーム(PS2版十二宮編) |
川島千代子 | TVアニメ版での幼少期 |
櫻井孝宏 | OVAハーデス編冥界編以降、パチンコ、パチスロ、ゲーム(PS2版冥王ハーデス十二宮編、聖闘士星矢戦機、ブレイブソルジャーズ) |
成田剣 | 聖闘士星矢Ω |
赤羽根健治 | LegendofSanctuary |
草彅剛 | SMAPミュージカル |
植野堀まこと | 2011年版ミュージカル |
龍星座の青銅聖闘士で、友の為なら自らの命を投げ出すことも厭わない義の男。172cm53kg、14歳。
原作設定では城戸光政の多数いる子供達の中の一人だが、青銅一軍5人の中で唯一肉親の描写がない。その後光政に送られた中国の廬山五老峰にて老師(天秤座の童虎)の師事を受け、龍星座の聖闘士となった。
腰まである流れるような黒髪とほっそりした顔に切れ長の目が特徴的な美少年。
アニメージュの青銅5名の描き方特集ページにおいては、荒木伸吾氏に「顔として最も整っている」と評価された。(当時の作品の熱狂的人気のせいか、第二回特集において、『全員魅力的』というフォローが入った。)
顔相カルテでも「ほっそりした顔に切れ長の目。鼻もスラリとしていて全体的にクールですっきりした顔立ち」 「流れるような黒髪・眉は細く・切れ長の目」と強調されていたが、
テレビアニメ初期から現在でも荒木伸吾氏のイメージとかけ離れた顔立ち、体格に描かれることが多い。
連載当時より公式設定数値は、172cm53kgと青銅一軍、聖闘士の中でもぶっちぎりで痩せている。
老師の養女である春麗(しゅんれい)を大切な家族と思っている。
日本人だが、修行地の文化に馴染んだのか普段着はカンフー服。療養や戦いの無いときには五老峰に帰っている。
登場初期は天狗気味なキャラで、自身の力量や技を過信する面もあった為に童虎がわざと自分が危篤などと嘘をついたりして釘を刺した事もあった。
しかしそのうち謙虚になっていき、メインキャラの中ではかなり落ち着いた方となった。
師匠譲りの蘊蓄を披露したりもする。師匠の童虎にさえ「人間が固い」と評される程頑固な部分もあり、NDにおいては堅物を通り越して天然のような扱いすらされており、幼少時修行に送られ最初に童虎と対面したときは「つまらん」と言われてしまう可哀想な場面すらある。
戦闘スタイルとして、自己犠牲精神ゆえに自分を追い込むことで小宇宙を高めて、防具である聖衣をあえて脱ぎ捨てて戦うことが多い。
その他にも、正々堂々と戦う為に聖衣を脱ぎ捨てたり、武器を使う際に無意味に聖衣を脱いだり、聖衣を切り刻まれたり肌の露出が多い。
紫龍の小宇宙が最大限に高まったとき、その背中には刺青にも似た龍の姿が浮かび上がる。
本人いわく刺青ではないそうなのだが、NDで師匠の老師(童虎)と過去で再会したときに天秤座聖闘士の資格がある者に浮かぶ紋であることが明らかにされた。
ミュージカル版では草彅剛が配役されていた。グループ内の緑色担当である。
龍星座の青銅聖衣
ドラゴンをモチーフとした、その鱗の色を思わせるグリーンの聖衣。階級は青銅聖衣。
廬山の大瀑布によって磨かれた聖衣であり、ダイヤモンドさえも凌ぐ硬度と輝きを備える。
左腕の円盾は『ドラゴンの盾』として名高く、全聖衣の中でも最硬を誇るとされている(尤も黄金聖衣には到底及ばないので、あくまで青銅聖衣の中では最硬ということである)。
しかし紫龍はその聖衣をすぐに脱ぎ捨ててしまうほか、相手の攻撃の強大さを証明するかの如く破壊されてしまうことも度々であった。
右腕の部分は円盾と対になっており最強の拳とも称されている。
こちらは盾とは違って損壊例はごく僅か(星矢の奇策で円盾とぶつけ合わせてしまい、揃って全壊。劇場版第1作では相手がズバリ盾座だったため、逆に粉砕されてしまった)。
アニメ版の紫龍
初代声優は鈴置洋孝。OVA冥王ハーデス冥界編以降は櫻井孝宏。
聖衣デザイン
アニメ序盤では玩具展開の関係かヘッドギアがヘルメットのような形状となっているなど、聖衣のデザインが原作とは大きく異なっていた。
演出
基本的に誠実で礼儀正しいが、序盤はまるで鈴置洋孝演じた花形満そっくりな口調になったり、敵方の策士を策で破る、デスマスクの技を敢えて受けた後、不敵な笑みと共に大逆転する等の展開もあった
兄弟弟子
アニメには、紫龍のライバルとして王虎(おうこ)というオリジナルキャラクターが登場する。
龍星座の聖衣を手に入れるために紫龍とともに老師の元で修行をしていたが、素行が悪かったため破門された。僅か二話の登場ながら声が井上和彦だったりクオリティが高かったせいか、新世代天秤座のあの人の名前が亀になったのは、概ねこの人のせいだろう。
NDの紫龍
連載開始から実に数年出番がなかったが、結局五老峰に帰って聖衣を滝壺にしまいこんで静かに暮らしていたことが判明。星矢の危機を知らせにきて協力を求めた氷河の頼みも拒絶したためキレた氷河に殴られかけるも、春麗がその場に赤ん坊を抱えて登場したため氷河は諦めてそれ以上詳細を聞かず撤退。実はその赤子は2人の実子ではなく(同作時点の年齢設定で実子では問題ありだが……)春麗が拾ってきた捨て子で「翔龍」という子だった。その後滝の前で童虎の杖を見て涙ぐんでいたことから、出撃を拒否したのは亡き師匠のハーデス編での願いも考えてのことだったようである。しかし氷河を追撃してきた斗馬に八つ当たり的に襲われたため再び出撃の決意を固め、氷河とともに過去に飛ぶ。
天秤宮に落下して若い頃の童虎と対峙するが、恩師と再会できた感激のあまりまだ存在すら知らない春麗らの近況などもいきなり喋りたおしたりして怪訝がられる羽目になる。
また、お互いに聖衣を脱いで背中の紋を見せ合うことで、それぞれの背中に浮かぶ虎と龍が天秤座聖闘士の後継者である証しだと童虎の口から説明があった。
ちなみに本編が紫龍天然ボケ化の始まりでもあろう。
『Ω』の紫龍
『聖闘士星矢Ω』では、初代キャスト鈴置洋孝の役を多く引き継いだ、成田剣が彼を演じている。
春麗との間に龍峰(りゅうほう)という息子を授かっており、龍星座の聖衣は既に息子に譲っている。
本人は龍峰の幼少期に前の戦いの影響で五感を失い動けなくなっており、滝の前で地蔵状態になりつつも小宇宙を通した指導を息子につけていた。
結果として彼は若手のトップ実力を持ちつつ礼儀正しく知略にも長けた少年に育っており、これだけでもほぼ十分な教育が仕上がっているにも拘らず龍峰をあえてパライストラに入れている。
4話の龍峰の台詞からして同世代の仲間との切磋琢磨での成長を期待していたようであり、親としてはかなりしっかりしている。
旧作レギュラーの中で子持ち設定になった理由は同番組のプロデューサー曰く「他の青銅聖闘士に子どもがいる姿をイメージできなかった」ということであるが、上記のような育児の成功ぶりといい旧作メンバーの中では檄と並ぶ常識人キャラとして扱われている。
龍峰誕生暫く後までは元気だったようで後に「僕が幼い頃に五感を失った」と龍峰は発言している。
また12話でアンドロメダ瞬が語ったところによると、13年前のペガサス星矢消失事件の現場に居合わせ、魔傷を受けていたとのことであるが、これと五感消失との関連の詳細は不明。
19話で本人が登場したが魔傷の進行は全身に及んでおり、龍峰の幼少期には既に小宇宙を通しても言葉での具体的な会話が不可能な状態に陥っており小宇宙の高まり具合で大ざっぱな意思を伝える程度しかできていない。
しかし視覚聴覚が利かずとも周囲の状況は比較的精度高く把握できているようで、光牙ら息子の友人と対面した際は口元がわずかに微笑むように描かれたりしている。
天秤座の黄金聖衣を管理していたが、龍峰を手伝うために黄金聖衣を外部に飛ばした為に玄武に聖衣を持ち去られてしまったが、その際龍峰らに危害を加えようとした玄武を小宇宙で威嚇しており、彼をして「俺もただではすまない」と感じさせる程の強力な力を未だ持っている。
39話で天秤座の童虎(老師)の次の代となる天秤座だったことと玄武が弟弟子だったことが判明。
19話で玄武を威嚇した理由について、玄武が当時は不真面目で結局聖闘士にならず出奔した経緯があるため、信用できなかったのではないかと玄武自身は思っている。
二期ではアプスの滅亡に伴い、魔傷から回復。
しかし、パラスの襲撃を予見し、再び龍峰が戦わなければならない時が来ると考えていた紫龍は、敢えて心を鬼にして、彼に厳しい修行を課した。
再び龍峰が闘志を蘇らせ、仲間達と共に聖域へと向かった時には、春麗と共にその後ろ姿を見送っている。
62話では流星を見て玄武の死を悟り、無言ながら何か感慨のあるような素振りを見せ、68話終盤で氷河、瞬とともにパラスベルダに駆けつけた。
77話では光牙達と合流し、龍峰から天秤座の黄金聖衣を受け取った。この時「玄武の遺志は受け取った」と宣言しており、彼との間のわだかまりが、完全に払拭されたことを示している。
玄武のものとはデザインが変化しているが、胸の宝石の形状は、玄武の時のものとも龍座聖衣の聖衣石とも違う円形である。一方ヘルメットパーツは、龍座聖衣を思わせる頭飾りへと変化している。
戦場でも息子にはあえて手助けをしない厳しさを貫いてきたが、パラス城攻略の班分けでは龍峰に同行することを選び「たまには親子水入らずもいいさ」と微笑む親としての情も見せた。その後2級パラサイトのレアを撃破。ハイペリオン戦では貴鬼、フドウとともにアテナエクスクラメーションで消滅、…かと思いきや瓦礫の下に埋まっていただけだったのはキャラクターを蔑ろにしたあまりにもお粗末な脚本である。