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ベトナムの編集履歴2018/03/05 11:36:35 版
編集者:ahmadfadhillah
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概要

東南アジアのインドシナ半島東部の社会主義国家。日本語による正式名は「ベトナム社会主義共和国」。漢字表記は「越南」(「越」と略される)。英語では"Vietnam"。

pixivではAxis Powers ヘタリアのキャラ(越っちゃんを参照)やミリタリー民族衣装などのイラストが多い。

首都は北部のハノイ。南部のホーチミンは首都に順ずる主要都市。ホーチミン市の旧名は旧南ベトナムの首都だったサイゴン

南北に細長い国土はほとんどが温暖な熱帯地域で、ジャングルや田園風景が広がっている。

歴史的に中国文化の影響を強く受けており、都市部にはフランス文化の面影も色濃く残る(その代表例として、都市を中心に民衆の間でフランスパンが今でも多く食べられている)。

歴史

紀元前には石器文化や青銅器文化の時代があり、古くから多くの王朝が興った。歴代中華文明から支配や影響を受け、何度も反抗と独立を繰り返した。

1883年のフエ条約締結により独立を失い、カンボジアラオスとともにフランスの「インドシナ植民地」とされたが、第二次世界大戦時にフランス本国がナチスドイツに占領され、これを受け日本軍が進駐。フランスのペタン政権との合意の下でフランス領インドシナへ進駐していた日本軍は、近々予想される連合国軍のベトナム上陸に対する危機感を募らせていた。

日本軍は連合国軍が上陸した際に、フランス植民地軍が日本軍と共にこれを迎え撃つことへの同意を求めたが、フランス軍はこれを拒否し、1945年3月9日に両軍の間で戦闘が起こり、約3万の日本軍は、警察部隊も含めると9万と言われたフランス軍に勝利する。

これによって、インドシナは日本の統治下に入った。日本は連合国軍に対抗するためフランスの植民地政府を打倒し、阮朝の皇帝バオ・ダイ帝を支援し『ベトナム帝国』の独立を図った。

しかし、この時ベトナムでは天候不順による凶作に加え、アメリカ軍の空襲による南北間輸送途絶や、フランス・インドシナ植民地政府及び日本軍の食糧徴発によって、トンキンを中心に大飢饉が発生した。ホー・チ・ミン率いるヴェトミンはこれをベトナム帝国を攻撃するために利用し「200万人が餓死した」と宣伝工作を行って独立運動の主導権を握る。

ヴェトミンは日本の降伏文書が調印されたことを受け9月2日に「ベトナム民主共和国」の独立を宣言。旧植民地の再支配を謀るフランス軍とのインドシナ戦争となり、ベトナムはバオ・ダイを元首とするフランスの傀儡国家である「ベトナム国」とベトナム民主共和国との分断国家となった。

ベトナム国は1955年のクーデターにより共和制の資本主義国家のベトナム共和国(南ベトナム)となり、南ベトナムはアメリカ合衆国を後ろ盾とした。

アメリカは共産主義政権であるベトナム民主共和国の存在を認めず、アメリカ軍がベトナム民主共和国に侵攻してベトナム戦争が発生。戦争の結果アメリカ軍は追い出され、後ろ盾を失った南ベトナムにベトナム民主共和国が侵攻し、「ベトナム社会主義共和国」としてようやく南北統一された。

しかし、ベトナム戦争終結後も中国・カンボジアとの戦争が続き、特に対カンボジア戦勝後カンボジアを占領したことは、ベトナムの戦後復興の重い足枷となった。こうしてベトナムは約100年近くも戦争に明け暮れることになってしまい、戦場として荒廃した国土の復興が大きな課題となった。

ベトナムは「三つの帝国」に打ち勝った稀有な国で、『帝国主義者の場』とも呼ばれている。

仏帝(ベトナム独立戦争)→米帝(ベトナム戦争)→華帝(中越戦争)の順で勝利】

1980年代に戦後復興のためドイモイ政策により市場経済を導入。その後は過去に戦った各国との和解が進み、近年は日本や台湾韓国などの企業の進出が著しく、高度経済成長が始まっている。

政治

現在も、建前上は社会主義国であり、ベトナム共産党以外の政党を認めない一党独裁政治となっている。

ただし、権力が個人に集中しない集団指導体制となっており、ベトナム共産党の最高職である「党中央委員会書記長」国家元首である「国家主席」国会の議長である「首相」の3人に権限を分散させているため、個人独裁がない構造になっている。

また、共産主義に通ずる社会主義を称しながら、反共を掲げているASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟していることも特徴であり、近年は民主化に向かう動きも見られ、実は反共的ではないかとも言われている。

実はベトナム一度も共産主義となったことは無く、確かに看板は共産主義を目指す社会主義を掲げているが、それは表向きのものでしかない。

というのも、ベトナムの経済国家資本主義であり、資本家の多くが民間人である民営資本主義と違い、基本的に国家政府機関官僚組織が資本家であるが、生産手段(会社・仕事)労働する諸個人(社員)とは区別され、労働する諸個人の労働力を生産手段の所有者が購入(会社が社員を雇う)し、所有者たちの目的のために労働する諸個人を使役する資本・賃労働関係が成立するため、資本・賃労働関係が存在する資本主義社会である。

本当に共産主義を実現するには、上述した国有・国営ではなく、協同組合的所有・協同経営を実施しなければならないのだが、ベトナムはドイモイ(ベトナム共産党第6回党大会で提起された社会思想転換のスローガン)が提唱されて以降、それまでの国家資本主義から民営資本主義へ移行する過程に入って、社会主義の看板も塗り替えられつつあり、協同組合所有・協同経営の方向ではなく、民間資本家による民営資本主義の方向に向かっている。

元々、建国当初からベトナムの社会主義は、本来のそれとは違い、ホー・チ・ミン初代国家主席の掲げたホー・チ・ミン思想に基づいた独自のものとなっていた。

2013年以降には、「ベトナム社会主義共和国」の国名を、1945年のベトナム八月革命によって独立した時の国名「ベトナム民主共和国」に改める動きが起こっている。

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