概要
メアリー・スーっぽいキャラのこと(項目を参照)。
「二次創作における痛いオリ主」を指すことが多いが、理想を投影されて魔改造された原作キャラもメアリー・スーと呼ばれることがある(後述)。
メアリー・スーと呼ばれやすい例
まず前提として、メアリー・スーの厳密な定義は不可能である。何がメアリー・スーっぽいかは主観に左右されるからである。
以下は一例である。
- 特定の事物に対する作者の思想があからさまに投影されている
- 作者によって作品世界内において異常なまでに優遇され、その結果明らかに物語から浮いている
- 若くして高い地位に就いている、何か凄い存在の生まれ変わり、最強、美形(オサレ)、不特定多数の人に好かれる、超能力を持つ、原作キャラが知らない事柄を知っている、その他厨設定がてんこもりなど、「特別な存在になりたい」という理想があからさまににじみ出ている
- 逆に弱い、平凡な外見、無知、モブ、とってつけたような弱点がある、原作キャラから嫌われているなど、「よくあるパターンから外れ、かつ特別になりたい」という理想があからさまににじみ出ている
他にもメアリー・スーと化した原作キャラを指す「スパシン」「U-1」「HACHIMAN」や、「悪役メアリー・スー」「暗黒メアリー・スー」「逆メアリー・スー」など、派生語・対義語は山とあるが、これらは全て明確な定義というものが特に存在せず、発言者が勝手に言っているだけである。
よって、意図的にメアリー・スー=痛い二次創作をネタにしている作品でもない限り、感想やタグでこの言葉を使用するのは不適切である。
ちなみに、以上の誤解を元にオリキャラを作ったり、あるいは原作キャラを動かした結果、メアリー・スーを避けたつもりで「忌み嫌われる痛い奴らなんかとは違う優れた創作者である自分」という自惚れがにじみ出たキャラになってしまう……というパターンもよくあることだったりする。
メアリー・スーではないものの定義
「メアリー・スー呼ばわりされるのが恐ろしくて二次創作ができない」など、「スー・フォビア(メアリー・スー恐怖症)」と呼ばれる症状がある。
そういった人たちのために、「こうなればメアリー・スーではない」とされる定義も提唱されている。
「弱点がある」「そこそこの強さである」「元から常識の埒外にある超存在がゴロゴロいる世界(クトゥルフ神話TRPGやSCPなど)を舞台にした二次創作である」など、メアリー・スーの定義が無数に存在するのと同じく「そうでなくなる条件」も無数に存在する。
「メアリー・スーは客観性のない自己投影である」という説によって、自己投影でなく客観的に楽しんでいることをアピールし非メアリー・スーを主張することも多い。
「自分が○○のキャラになりたい(自己投影)のではなく、遠くから○○たちの物語を眺めたいだけ」などはよくある主張である。
もっともこれらはメアリー・スーを中二病だとすれば高二病のような状態であり、メアリー・スーとそう変わらない「亜種」とされるものも多い。
更には「自分の物語の楽しみ方は客観視点だが他人は主観視点である」といった主観的な決めつけや、単なる暴言や差別としての「メアリー・スー認定」も珍しくなく、無限に広がり続けるメアリー・スー概念に対し、それを避けようとする試みはいたちごっことなっている。
メアリー・スーの存在を前提にした派生キャラ・ジャンル
メアリー・スーは悪名高いため、特にウェブ創作界隈においては「メアリー・スー的なキャラ」がキャラヘイトやヘイト創作に近い行為の対象にされることも多い。
『このすば』のミツルギや『幼女戦記』のメアリー・スーが典型的な例である。
ヘイトを露骨に向けない場合でも、主人公との対比としてメアリー・スー的な超人を置くという手法があり、『リゼロ』のラインハルトや『ゴブリンスレイヤー』の超勇者などがいる。
『とある魔術』の上里翔流は、魔神をダース単位で異世界に追放する特別な右手と妄信的な大量のハーレムを持つなど明らかにメアリー・スーを意識したキャラであるが、本人は自分自身も含めた「力で周囲を捻じ曲げてしまう存在」を最大限憎悪している……つまりメアリー・スーでありながらメアリー・スーを憎む者であるという皮肉なキャラである。
pixiv内企画でのメアリー・スー
上記の「最強」「無敵」「誰にでも好かれる」などの設定をつけたキャラでピクシブ内企画に参加する事はあまり好ましくない。
交流ありきの企画が多い中、このように設定したキャラクターを作ると使いづらく、仮に交流をしても最強なので結果的に他のキャラクターの軽視に繋がり、企画の空気が白ける結果になってしまうためである。
このため、企画主催側で過剰な設定の付加を禁止している場合が多い。
メアリー・スー テスト
ネット上において、自分のキャラが自己投影オリキャラに近いかどうかを調べる「メアリー・スー テスト」と呼ばれるテストが多く存在する。
(参考→https://iwatam-server.sakura.ne.jp/game/marysue/test.html)
ただ、ひとつの参考として「メアリー・スー テスト」をするのは構わないが、必ずしも単一の型にはまったテストで検証しきれる概念ではないので、実際に自分のキャラがメアリー・スーか否かを判断する上ではあまり参考にはならない。
また、これを他者の作品に適用し、「点数が高いから(作品・作者・読者が)悪い」という悪口に悪用する人も存在する。
当然だが、各々が個人的な価値観で作っただけのテストを適用しても、世間一般としての良し悪しが図れることはない。それを恣意的に一般化するのはただの悪口である。
例として上記URLのFAQより引用する。
「Mary Sueの判定は、読む人の解釈にも依存する。つまり、書き手には全然そんなつもりはなくとも、読む人がMary Sueにどっぷり浸かっている場合は、その人はそれをMary Sueだと受け取ってしまうということだ。
あくまで、「自分で書いた小説をテストする」というのが基本であることを忘れてはならない。さらに言うと、どれもこれもMary Sueに見えてしまう場合は、自分がそれに侵されてしまっていると考えた方がいい。」
例えばやおいやTSFといったジャンルはキャラの性癖や性別を改変するなど作品世界観に対する不自然さは強いが、「そういうもの」としてファンに受け入れられている。
作品の属性を抜き出して何々が悪いとする、つまり特定の属性やジャンルが嫌いなだけの人が作ったテストで本当に作品を改善できるかは、慎重になるべきだろう。
本国では
1973年発祥という歴史を踏まえてもアメリカでは良くも悪くも古典的なネタであることに注意。
現代のアメリカではこうしたキャラを実写版『バイオハザード』のオリジナルキャラクターであるアリスと呼ぶという説があるが、ネットではソースが確認できず、デマかローカルな流行だと思われる。
メアリー・スー作成者インタビューと、本来の原義
メアリー・スーの初出である「A Trekkie's Tale」の作者Paula Smith氏のインタビューが残されている。
(参考→http://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/243/205)
この中で冒険小説「ドック・サヴェジ」の実写映画を見て「メアリー・スーだと思った」と発言しており、その際スーパーマンやジェームズ・ボンドを引き合いに出して「思春期以降の女性と向き合おうとしない当時の若者が自らの願望を叶えるために作った、読者が命を吹き込む余地がないキャラクター」であると考察している。
同時に「男性社会や家父長制がメアリー・スー的男性キャラクターを量産する」との見解も示しており、スタートレック界隈でメアリー・スー的と評されたウェスリー・クラッシャーに対しても「男性キャラなので意識されにくいが、同類である」と否定的。
「メアリー・スーは二次創作に限定された概念」あるいは「駄作にのみ適用される」といった言説がネット上には存在するが、作者自身はこの概念を一次創作はおろかスーパーマンのような著名な作品の主人公にも容赦なく適用しており、その視点にはジェンダー的な私見も含まれ、やはり扱いが難しい概念である。
関連タグ
オリキャラ ぼくのかんがえた U-1(SS用語) 幻想入り 冬木ちゃんねる
対義語タグ
平凡・・・美形の最強キャラではなく普通である
最弱キャラ・・・最強どころか最弱である。メアリー・スー同様にピクシブ内企画では禁止されていることが多い
傍観・・・大活躍するのではなく傍観する
モブキャラ・・・設定の薄いモブキャラ。名前すらないことも。転生モブなどは作者の分身感がより強い
嫌われ・・・周囲に好かれるのではなく嫌われる