ナレ死
なれし
概要
大河ドラマや連続テレビ小説において歴史上の著名人、または主要人物の戦死・臨終を描くのはドラマの重要なハイライトシーンである。しかし脚本や放映時間さらには予算や出演俳優のスケジュールの都合なども絡み、全てのキャラに尺を割くわけにいかず、やむなく「○○は××において討ち死にした」「後に△△にて生涯を閉じた」など、ナレーションの説明によって死亡退場となる手法は昔から存在していた。もちろん、後述の3作品より後に製作された『西郷どん』以降の大河ドラマにおいても普通に使用されている。
『花燃ゆ』
2015年の大河ドラマ。主人公の杉文を中心としたホームドラマ、恋愛ドラマ的な側面を重視する余り桜田門外の変・戊辰戦争・西南戦争といった歴史的重要イベントをスルーしたばかりか、四境戦争(第二次長州征伐)や萩の乱といった主人公の周囲や親族も関わった重要イベントすらナレーションの池田秀一が簡単な説明だけで切りまくった(通称シャア無双)やり方は大いに批判を浴びた。とはいえ「主人公が直接目の当たりにしたシーンでなければ、たとえ歴史的大事件でも詳しく描かない」という手法は以降の大河ドラマでも用いられるようになる。もっともこの時は「ナレ死」という言葉は誕生していない。
『真田丸』
2016年の大河ドラマ。脚本を努めた三谷幸喜もまた主人公が関わらなければ例え歴史的大事件でもスルーするスタンス(このスタンスは6年後の『鎌倉殿の13人』でも同様)だったため、有働由美子アナのナレーションによって重要人物が次々と葬られた。
織田信長が本能寺の変すら描かれずに、「天下統一を目前に、織田信長が死んだ」の一言で片づけられたのを皮切りに、加藤清正や明智光秀などの高名な偉人たちに加え、主人公真田信繁の実母、薫までもナレーションのみにて葬るという非情っぷりが話題となり、この「ナレーションによって登場人物の死亡が説明される」現象は「ナレ死」と呼ばれるようになった。
中には例外もあり、信繁とほぼ関わりの無い細川ガラシャなどが信繁の目を通さず死が描写されている(真田兄弟に次ぐ主要人物であるきりが目撃しているためかもしれない)。また、信繁と関わりの深かった石田三成や大谷吉継も回想によって死が描写されている(そもそも関ヶ原の戦いの描写がなかった)。
しかし例外的にナレ死を跳ね返した人物も存在する。第二十六話で大往生を遂げる信繁の祖母で真田一徳斎の妻、とりは有働アナによるボイスの魔の手が迫るや否や「ちと早すぎた!」とマホカンタの如く跳ね返し、信繁と信幸に「離ればなれになっても真田はひとつ」と真田の命運を見据えた格言を残した。
……が、その直後速やかにナレーションで葬られた。
また、片桐且元は第四十七話にて徳川家康の策略により主君である「淀殿を裏切ることになり、絶望の中死去した」と直後に挿入された有働ボイスによりナレ死を遂げた…と思われていたが、最終話にて高台院に改めた北政所に茶を振る舞われている場面が挿入された。
…まぁ、時系列的に『真田丸』終了時点ではまだ生存していたからおかしな事ではないが。
最終回では有働アナによるナレーション自体が控え目だったのだが、最後の最後にテロップと共に、7年後に信之(信幸)が松代藩の城主になる事を告げた挙句に「そして幕末、松代藩は、徳川幕府倒幕のきっかけになる天才兵学者・佐久間象山を生み出すことになるのだが…それはまだ、遠い先のお話である」と、徳川幕府そのものがナレ死させられるという特大の爆弾が放り込まれた。
『おんな城主直虎』
『真田丸』終了で「ナレ死」も無事完結したと思いきや、後続の2017年度大河ドラマである本作でも引き続き継続されることとなり、2017年3月26日放送の第十二回「おんな城主直虎」で多くのレギュラー登場人物が歌舞伎俳優・中村梅雀のナレーションによって「ナレ死」の憂き目にあってしまった。
『麒麟がくる』
2020年度大河ドラマ。最終回において、主人公である明智光秀のナレ死の影響を受け、最期を遂げるきっかけとなった山崎の戦いがダイジェストで終わる結末となった。
ただし、光秀は「羽柴秀吉に敗れた」とは言われたものの「死亡した」とは明言されておらず、実際、同作のラストシーンは見方によっては光秀が生存していたともとれるものになっていたため、これをナレ死と呼んでよいのかどうかは人によって解釈が分かれている。