概要
「バブル景気」とは、1985年のプラザ合意(協調的なドル安政策)に端を発する、異常に日本の景気が良かった時代を指す。具体的には1986年12月から1991年2月まで。
泡が膨らむがごとく、実体経済からかけ離れた資産価格の高騰により景気が過熱(バブル経済)した。
これ以降、特定分野への投資が加熱することを「〇〇バブル」と称するようになった。2000年ごろにIT分野の株価が急上昇した「ITバブル」、2017年の「仮想通貨バブル」などである。
当時と違うのは、好景気のさなかであっても「バブル」と称され、遠からず崩壊するものとみなされている点である。
また、金満主義が蔓延した当時の世相から、金に飽かせた豪華装備を「バブル的な」、「バブリーな」と形容することもある。
経過
日本では急速な円高によって「円高不況」が起きると懸念されたため、度を越した金融緩和が行われ、景気が過熱した。地価の想像を絶する高騰により、それまでの日本人の憧れだった「マイホーム」は夢の夢となり、余った資金が土地や株への投資や、浪費的な消費に向かった。
大学生や20代の新社会人は消費対象としてもてはやされ、スキーや海外旅行が流行し、若い男女はディスコ遊びやナンパ、海外においてはブランド品の買い漁りに精を出した。東京などの大都市の都心では、贅沢なスポーツカーや高級車が街にあふれた。
特に、ミニスカのボディコンスーツに身をまとった若い女性が、ディスコで扇子を振り回して踊る姿は、バブルのアイコンとして扱われている。
1989年末には日経平均株価が最高値の38,915円87銭を記録した。
その一方で海外においては価値の云々も理解できず敬意も払わぬ若者たちによるブランド買い漁り、一部企業による投資目的の海外資産・観光資源目的による土地の人々の誇りや支えとなっていたランドマークの強引な買い叩きなど、その他もろもろ(中には善意を装い詭弁を弄して子どもにはとても言えない行為に及んだ不届き者も続出した事もあり)現地の人々の心情を逆撫でする傲慢この上ない暴言や無体な行動などが問題視され、国際世論からは日本に対して壮絶な非難の声が巻き起こっていた。
戦後日本の繁栄の絶頂期であったが、この時期の円高と人件費高騰により日本の産業がアジア諸国に次々と移転し始めた(産業の空洞化)。多くの会社の管理部が財テク(株式、不動産への投資)やマネーゲームに熱中して実業を蔑ろにするようになり、バブル崩壊後長期にわたる不景気の種が確実に蒔かれていた時期でもあった。
バブル崩壊
行き過ぎた地価と株価の高騰は、1990年3月の総量規制(当時の大蔵省から金融機関に対して行われた不動産投資抑制の行政指導)を機に下落し、翌年には膨大な不良債権を生んだ。
1990年代の10年間は、日本企業の「3つの過剰」(過剰設備、過剰雇用、過剰借金)が叫ばれた時代である。金融機関は強引な融資の引き上げ(貸し剝がし)に走り、各企業は経営をスリム化(リストラ)して仕事を海外や下請けに出すアウトソーシングを敢行。大企業や公務員の採用は極度に抑制された。
当時は大学を出て中小企業に就職できればいい方で、就職活動に失敗したままニートやフリーターを長く続けたり、ブラック企業で心身を壊して引きこもりに陥った者も少なくない(就職氷河期)。企業や公的機関はこぞって人員を非正規雇用に置き換え、人材派遣(派遣社員)が一般化した。正規職員の給与水準も低下した。現代まで叫ばれる「格差社会」「若者の貧困」「少子化」などの問題の多くは、バブル崩壊後の不景気が原因である。
この「バブル崩壊」当初は、これまで焼け野原からの復興やオイルショックを乗り越えてきたことから、一時の不況として楽観視する声も多かった。しかし、各企業が金の溜め込みに熱中し、人を育てるのを怠ったことで、日本経済の活力は年を追うごとに低下していった。2005年の経済財政白書では「3つの過剰」はほぼ解消したと分析されているが、この時期には企業の財務状況は改善されても、日本経済はもはや再起不能な状態になっていた。
そして「バブル」はノスタルジーになった
バブル崩壊期の平成前期には「バブル」はネガティブに捉えられることが多かったが、平成も終盤になると、バブル期〜バブル崩壊期の風俗は平成レトロとして懐古の対象と化した。創作にはタイムスリップしてバブル当時に行くものや、バブル景気が続いていたIFの世界を描いたもの(いわゆる「バブルもの」)が多く存在する。
しかし当然と言えば当然なのだが、こうした「バブルもの」においては、地上げや土地転がし、海外での横暴な振る舞いといった「バブルの闇」には触れられることはない(昭和レトロが昭和中期の犯罪の多さや不潔な部分に触れないのと同じ)。
そしてこの時期(平成初期)まではまかり通っていた職場でのセクハラやパワハラ、ところ構わぬ喫煙、ゴミのポイ捨て、盛り場ではヤクザが公然と幅をきかせていた...といった、日本人(特に男性)の劣悪なマナーや、デタラメ極まる倫理観に関しては、当時を知らない若者はもとより昭和生まれの世代からも思い出補正により美化(あるいは詭弁で誤魔化して正当化)され忘れられつつあるのが現状である。
バブルの元凶と言われる人物
(肩書きは当時)
中曽根康弘(内閣総理大臣)
竹下登(大蔵大臣)
宮沢喜一(大蔵大臣)
澄田智(日銀総裁)
関連タグ
ジュリアナ東京 - バブルの象徴とされるディスコだが、実際にオープンしたのはバブル崩壊後。
平野ノラ - バブル期のファッションや流行語をネタにする芸人。