越後線
えちごせん
路線データ
路線名 | 越後線 |
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路線区間 | 柏崎〜新潟 |
路線距離 | 83.8km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 32駅 |
電化区間 | 全線(直流1,500V) |
単線区間 | 全線 |
最高速度 | 85km/h |
閉塞方式 | 特殊自動閉塞式 |
保安装置 |
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運転指令所 | 新潟総合指令室(CTC) |
大都市近郊区間 | 新潟近郊区間(全線) |
ICカード乗車券エリア | Suica新潟エリア(全線※) |
第一種鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
※柏崎〜吉田間は通過利用のみ。柏崎は一部対応駅。
概要
柏崎駅(新潟県柏崎市)と新潟駅(新潟市中央区)を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線で、地方交通線。その名の通り越後国(新潟県)内のみ走行する。
起点と終点で信越本線と接続する。営業キロは83.8kmで海側を走る為越後平野の内陸側を走る信越本線よりは短距離だが、路線規格が低いため所要時間では負けている。
なお2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震では比較的早期に復旧した為、復旧作業に時間を要していた信越本線の迂回路として臨時列車が運行されていた。
しかし約3年後の2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震では沿線自治体が多数被災。越後線も柏崎駅に停車中の115系電車が脱線し、線路が歪む等甚大な被害を受けた。なお柏崎駅の115系の写真は同震災の交通機関における被害の状況を表す際にしばしば使用されている。
沿革
1912年(大正元年)8月25日に越後鉄道の路線として白山駅(初代)〜吉田駅間が開業したのが始まり。その後延伸を繰り返し、1913年(大正2年)4月20日に越後鉄道としての区間が全線開通した。
但し越後鉄道は資金不足により信濃川への架橋が出来なかった為、この時点では新潟駅への乗り入れが出来ていなかった。
1943年(昭和18年)12月1日に信越本線貨物支線として関屋駅〜新潟駅間が開業。1951年(昭和26年)6月25日には同区間の旅客営業が開始され、12月15日に越後線に編入、同時に白山駅が現在地に移転し、現在の区間となった。
単線非電化の平凡なローカル線のひとつだったが、新潟大学移転などで西新潟の開発が進むにつれ需要が拡大。1984年(昭和59年)4月8日に全線が直流電化された。
1987年(昭和62年)4月1日に国鉄が分割民営化されるとJR東日本が第一種鉄道事業者として路線を継承。同時に全線の貨物営業が廃止された。
2004年(平成16年)11月27日には大都市近郊区間の新潟近郊区間が設定され、吉田駅〜新潟駅間が区間内に設定された。2006年(平成18年)1月21日には新潟近郊区間での交通系ICカード乗車券「Suica」の利用を開始。なお2014年(平成26年)4月1日の新潟近郊区間の拡大に伴い全線が区間内となり、同時に柏崎駅のSuica一部機能の利用が開始された為、柏崎駅〜吉田駅間は通過利用に限りICカード乗車券のSF残額で利用出来るようになった。
2025年(令和7年)度3月15日ダイヤ改正で、2005年(平成17年)3月1日開業の内野西が丘駅以来となる新駅「上所駅]]」が開業する。
運行形態
全線通しで走行する列車も僅かに存在するが、基本的には内野駅が運行系統上の境界となっており、内野駅以東・以西で大きく本数が変わる。
柏崎駅〜吉田駅
閑散区間の為本数が少ない。特に柏崎駅〜出雲崎駅・寺泊駅間は運休日が設定されている列車が存在し、最長8時間程度列車間隔が開く場合がある。
列車本数は1日最大で柏崎駅〜出雲崎駅間は9往復、出雲崎駅〜吉田駅間は11往復。
区間内列車が多いが、一部は新潟駅や弥彦線東三条駅に直通する。
吉田駅〜内野駅
毎時1〜2本で運行される。
内野駅〜新潟駅
新潟駅への通勤・通学需要があるため本数が一気に増加する。概ね20分間隔で運行される。
ラッシュ時は途中駅での折り返し列車や信越本線・白新線・羽越本線直通列車も設定されている。