概要
もち米を小豆の煮汁につけ薄赤く染めておき、堅めに煮た小豆(金時豆でも代用可)を少量まぜて蒸し、ごま塩をかけて食べる。
明治頃までは、もち米を蒸しただけのものをおこわと言い、小豆などを混ぜたものと区別していたが、現在は赤飯も「おこわ」という事がある。蒸すのではなく、炊いて作る方法もある。
和菓子店で売られることも多い。近年はコンビニエンスストアなどでもおにぎりにしたものが売られている。
起源
古来より赤という色には魔除けの力があると信じられてきた。また、神道は稲作信仰が基盤であるため、米はとても価値の高い食糧と考えられてきた。このため、古代には赤米を蒸したものを神に供える風習があったようである。
日本では江戸時代になる前まで赤米をメインに栽培し食べていた。やがて品種改良により 味がよく生産性の高い白米が栽培されるようになったため、赤米は姿を消していった。
しかし、神事などに赤いご飯を食べる風習自体は生き続け、白い米に身近な食材である小豆などで色付けする方法が取られるようになり、赤飯が生まれたと考えられる。
祝い事や凶事の食事として用いられていたが、現在では祝い事のみに用いる地域が多い。
(Wikipediaより一部引用・要約)
北海道・青森地方の赤飯
甘納豆を加えた甘い赤飯が一般的。甘納豆を用いる場合は赤色に着色されないため、食紅が用いられる。
甘納豆は、一緒に炊いてしまうと豆が溶けてしまうため、炊き(蒸し)上がった状態の赤飯に加えて混ぜたり、添えるのが普通である。出来上がったものには、紅ショウガをスライスまたは刻んだものが添えられ、ごま塩がふりかけられる。
白糖やザラメ等を加えてより甘い味付けにする地域もある。
これらの地方で育った人は、他の地域で赤飯を口にしたときにカルチャーショックを受ける事も多いという。
この風習は山梨県がルーツとされているのだが、それがなぜ北東北に伝わったのかというと、今の青森県全域~岩手県内陸中部までを治めていた南部氏が甲斐源氏武田氏を主君としていた一族であり、後三年の役後に青森県に移住したことから広まった風習と考えられる。
新潟県長岡市の赤飯
一般的な赤飯とは全く違い、小豆ではなく、大福豆を用い、醤油で味付けされている。そのため、長岡市民以外の人から見ると「醤油おこわ」に見えるが、長岡ではれっきとした「赤飯」である。
何故、醤油で味付けされるようになったのかについては、諸説あるが、その昔、赤飯の着色に使われるササゲ豆が入手困難だったため、醤油を使って色付けをしたという説もある。
その他の意味
祝い事の食事として用いられる事から、初潮の隠語として使われる場合がある。