概要
「合衆国陸軍士官学校(United States Military Academy)」の通称。ニューヨーク州ウェストポイントに所在することから。
1802年7月4日、ウェストポイント要塞の跡地に開校したアメリカ合衆国最古の士官学校である。
世界で最も広大な敷地を持つ学校のひとつで多くの校舎、研究棟、運動施設に加えて、スキー場や、射撃場、研究用原子炉もある。
東部の名門校アイビー・リーグに入学できるほどの学力を必要とし体力試験が課される。更には志願時には上院議員の推薦状も必要とされ良人格や未婚であることなど数多くの条件をクリアしなければならない超難関校のひとつである。Princeton Review誌の合格難易度指数では98(最高が99)とされている。
また士官学校は学費が免除されるため非常に人気が高く、先述の条件も相俟って激しい競争試験が特徴であり、合格率はアイビーリーグと同レベルで厳しく2015年の合格率は僅か10%であった。
アメリカ海軍にも同様なエリート養成の為の士官学校「合衆国海軍兵学校(United States Naval Academy)」を持ち、所在地名から通称アナポリスと呼ばれる。
主な出身者
- ロバート・リー:南北戦争で南軍司令官として活躍。アメリカ史上屈指の名将とされる。
- トーマス・ジャクソン:南北戦争時の南軍将校。チャンセラーズヴィルの戦いに勝利し司令部へ帰る途中、味方から北軍兵士と間違えて撃たれ、感染症により死亡。
- ジョージ・アームストロング・カスター:南北戦争で北軍きっての勇将として活躍したが、リトルビッグホーンの戦いでインディアンに敗れ戦死。
- ユリシーズ・S・グラント:南北戦争の北軍総司令官。
- ウィリアム・シャーマン:南北戦争で北軍の戦略を担った。
- ジョン・ジョゼフ・パーシング:第一次世界大戦のヨーロッパ派遣軍総司令官として活躍した。
- ダグラス・マッカーサー:連合国軍最高司令官として敗戦後の日本を支配した。
- ジョージ・パットン:第二次世界大戦のフランス戦線で2週間で600マイル進撃。
- ドワイト・D・アイゼンハワー:第二次世界大戦で連合国遠征軍最高司令官として西ヨーロッパ戦線を指揮した。後に大統領となる。
- オマール・ブラッドレー:第二次世界大戦で第12軍集団130万人を率いた。
- ヘンリー・ハーレー・アーノルド:第二次世界大戦で陸軍航空軍司令官として焼夷弾などを使用した無差別爆撃を推し進めた。
- マシュー・バンカー・リッジウェイ:朝鮮戦争で中国人民志願軍の攻勢を押し止め、敗走する国連軍を立て直した。GHQ司令官としてマッカーサーの後任も務めた。
- エドワード・A・マーフィー・ジュニア:アメリカ空軍の航空工学者。航空機のコックピット、脱出装置の設計に従事した他、マーフィーの法則の由来にもなった。
- ウィリアム・チャイルズ・ウェストモーランド:ベトナム派遣軍司令官としてテト攻勢を退けた。
- クレイトン・ウィリアムズ・エイブラムス・ジュニア:バルジの戦いでバストーニュの包囲を破り第101空挺師団を救出。M1エイブラムスの開発を推進し、彼にちなんだ名前が付けられている。
- エリック・ケン・シンセキ:日系アメリカ人として初の陸軍参謀総長となった。ストライカー装甲車からなるストライカー旅団の提唱者で、ラムズフェルド国防長官との対立で失脚するも、オバマ政権で退役軍人長官として復権。