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ウットマン

うっとまん

公営新潟を皮切りに笠松→水沢→笠松→金沢→佐賀と渡り歩いた珍名馬。なお、名種牡馬ウッドマンとは名前こそものすごく似ているが血縁関係は全くない。
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プロフィール編集

生年月日1989年5月24日
性別
インターグシケン
アメリカンフリオ
母の父フエートメーカー
通算成績78戦21勝
主な勝ち鞍全日本サラブレッドカップ/新潟ダービー/霧島賞連覇

インターグシケン編集

1978年の菊花賞馬でテスコボーイ産駒。後に種牡馬入りし北九州記念を制したイブキファイブワン中日新聞杯勝利馬のショウリテンユウオグリキャップが勝ったニュージーランドトロフィー4歳Sで3着に入ったトマムなどを送り出した。非常に気性の悪い馬でも知られていた。1988年8月24日に心臓疾患のため急死。


母父フエートメーカー編集

スワップスの晩年の産駒で日本では外国産馬として競走生活を送った。地方競馬5戦5勝の実績を引っ提げてJRAに移籍したが6戦未勝利に終わっている。代表産駒は川崎記念3連覇を達成し通算で29勝を挙げたカウンテスアップや第1回全日本サラブレッドカップイナリワンを一蹴し翌年の同レースで散った笠松競馬伝説の名馬フェートノーザンなど。



戦績編集

(馬齢表記は旧年齢表記)

3歳時(7戦5勝)編集

1991年9月10日に公営新潟にてデビューし7戦5勝の成績を残す。


4歳時(10戦3勝)編集

三条競馬場で開催された桃花特別から始動し1番人気で3着となる。次走のチューリップ特別を制し新潟皐月賞に挑んだが1番人気の4着に敗れた。新潟ダービーは1番人気で1着と快勝し公営新潟の世代の頂点に立った。ウットマンは「ダービー馬」なのである。


そして遠征へ…編集

4歳時のウットマンは遠征を2度行っている。一度目は新潟・岩手・上山の持ち回りで当時行われていた東北優駿である。この年は水沢競馬場で実施されたが岩手の雄モリユウプリンスの前に5着と完敗した。2度目の遠征は中京競馬場(公営開催)で行われたターフチャンピオンシップである。ウットマンにとっては最初で最後の芝のレースだったが11番人気の8着に終わりむしろ芝適性のなさが目立ってしまった。


遠征競馬後のウットマン編集

新潟グランプリは11着、次走の朝日岳特別で4着、年内最後の出走となった青山記念を勝ち笠松競馬に移籍した。


5歳時(14戦7勝)編集

「笠松の名伯楽」こと荒川友司厩舎に移籍し特別戦を3連勝。中央競馬騎手招待競走では内山正博騎手騎乗で3着という記録も残している。地元A級特別戦の青葉賞、ローレル走覇、東海クラウンを制し東海菊花賞に挑んだが1番人気の3着に敗れた。だが全日本サラブレッドカップではトミシノポルンガたちを抑えて勝利した。年内最後の出走は地元笠松で開催された東海ゴールドカップで結果は2着だった。まさにウットマン本格化の一年だった。


6歳時(9戦2勝)編集

年明け初戦は2月11日に笠松で開催されたオグリキャップ記念だったが3着。叩き2戦目の名古屋大賞典を3番人気で勝利した。そして東海桜花賞10着を最後に岩手に移籍した。岩手では5戦1勝2着3回の成績を残し翌年からは笠松に出戻っている。


7歳時(8戦0勝)編集

ウットマンのキャリアの中で唯一勝ち星がなかったのが7歳時である。笠松の不破厩舎に移籍したが初戦の新春クラウンでサブリナチェリーの4着に敗れた。サブリナチェリーを管理していたのは岩手移籍前に在籍していた荒川調教師という皮肉な結果である。以降も本調子を取り戻すことなく金沢競馬に移籍したが状況が好転することはなかった。


8歳時(12戦1勝)編集

金沢競馬では通算9戦0勝に終わり佐賀競馬に移籍することになった。移籍2戦目のサラブレッドグランプリで久々の2着に入り年内最後の出走となった天山賞で久々の勝利を挙げ連敗記録を19で止めた。


9歳時(10戦2勝)編集

年明け初戦の天山賞に勝ち、中央交流の九州産馬限定戦霧島賞では6番人気で勝利した。ウットマンは鹿児島産の九州産馬だったのでこのレースへの出走資格があった。次走の天山賞では3着に入ったものの以降低迷。年末の重賞サラブレッドグランプリは5番人気の7着だった。


10歳時(8戦1勝)編集

2戦2着外の後に2年連続で出走した中央交流の九州産馬限定戦霧島賞(この年は荒尾競馬場で開催)を連覇したがこれが最後の勝ち星となった。サラブレッドグランプリでは8着に敗れ、現役最後のレースとなった天山賞では8番人気の5着に終わっている。そして定年制度の為ウットマンの現役生活に幕が下りた。


引退後編集

引退後は佐賀県で乗馬として過ごした。乗馬としての登録名はなんとウッドマンだったそうである。パチモノっぽい名前がどうしても先行してしまうが全盛期の実力は本物だった。


余談編集

ウットマンの父はインターグシケンなので父内国産馬である。実績以上にこの馬名のおかげでインターグシケンの代表産駒の筆頭のような存在でもある。なお、引退の理由は当時の地方競馬にあった「10歳定年制度」である。ウットマンの現役時代は10歳の12月31日を以て強制的に引退という定年制度が存在した。

現在でも南関東競馬では10歳での定年制が存在するが、年内に1度でも5着以内に入れば定年を延長できる。


関連項目編集

競馬 競走馬 珍名馬


関連タグ編集

91世代92世代93世代

ウッドマン 馬名がものすごくそっくりなアメリカ生まれの名種牡馬。生年が1983年なので競走馬としてはもちろん大先輩。

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