プロフィール
父グランディ
1972年4月3日にアイルランドで産まれイギリスで調教を受けた競走馬。愛国2000ギニー、英国ダービー、愛国ダービーを楽勝しキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではバスティノとの叩き合いの末2分26秒98のレコードタイムで制した。このレコードタイムは2010年にハービンジャーに更新されるまで35年間保持された。引退後は英国で種牡馬入りし、英オークスを制したバイリームなどを送り出したが売却。日本に鳴り物入りで輸入されたが………こけた。古典的なステイヤー種牡馬特有の素軽さに欠けた産駒が多い上にダートへの適性も皆無だったが故にJRAの重賞勝ち馬どころか地方競馬でも重賞勝ち馬を最後まで出せなかった。そして静内を皮切りに那須を経て鹿児島に移ったが晩年は全く需要がなかった。1992年に病死。「日本は種牡馬の墓場」という言葉が出る度に引き合いに出される存在になってしまった。
牝系はセレタ系
日本を代表する名牝系。クリペロとクリヒデによる兄妹天皇賞制覇、南関東で帝王賞などに勝利した後に中央に移籍し宝塚記念を制したカツアール、「降着制度の生みの親」ともいわれるニシノライデン、中山大障害を制したローズムーンなど多くの名馬を送り出している。近年では2000年のスプリンターズステークスの勝ち馬ダイタクヤマト、2009年に高松宮記念とスプリンターズステークスの春秋スプリントGⅠを制したローレルゲレイロが活躍馬である。
戦績
(馬齢表記は旧年齢表記)
4歳時(2戦未勝利)
デビューの地は公営北関東の足利競馬場である。1989年9月12日に実施されたサラ系3歳新馬戦において3番人気で2着。次走も足利競馬場で開催された10月13日の一般戦だったが3番人気で5着に終わる。そしてカールセンプーの現役生活はここで終了となった。
引退後
故郷のマル良牧場で種牡馬となった。ラストクロップのパワーセンプーはホッカイドウ競馬でデビューし後に荒尾・佐賀と渡り歩き通算52戦6勝を挙げた。
余談
- 直仔こそ振るわなかったグランディだが、母の父としては2005年のエンプレス杯を制したプルザトリガーを送り出している。この血筋は産駒アルカンジュエールを介して現在も生き続けている。
- グランディの全弟センチュリアスは1982年のジャパンカップに出走している。結果は15頭立て13番人気の14着だった。
- グランディ直仔であるグランディオースも種牡馬として輸入されているが結果は父同様大失敗だった。そもそもこの馬は本国では乗馬用種牡馬だったのだが…