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カールセンプー

かーるせんぷー

「失敗種牡馬」として有名なグランディの日本供用時代の産駒であるとともに後継種牡馬でもあった。
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プロフィール編集

生年月日1987年5月15日
性別
グランディ
カールレディ
母の父ボールドラッド(USA)
通算成績2戦未勝利

グランディ編集

1972年4月3日にアイルランドで産まれイギリスで調教を受けた競走馬。愛国2000ギニー英国ダービー愛国ダービーを楽勝しキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではバスティノとの叩き合いの末2分26秒98のレコードタイムで制した。このレコードタイムは2010年にハービンジャーに更新されるまで35年間保持された。引退後は英国で種牡馬入りし、英オークスを制したバイリームなどを送り出したが売却。日本に鳴り物入りで輸入されたが………こけた。古典的なステイヤー種牡馬特有の素軽さに欠けた産駒が多い上にダートへの適性も皆無だったが故にJRAの重賞勝ち馬どころか地方競馬でも重賞勝ち馬を最後まで出せなかった。そして静内を皮切りに那須を経て鹿児島に移ったが晩年は全く需要がなかった。1992年に病死。「日本は種牡馬の墓場」という言葉が出る度に引き合いに出される存在になってしまった。


牝系はセレタ編集

日本を代表する名牝系。クリペロクリヒデによる兄妹天皇賞制覇、南関東で帝王賞などに勝利した後に中央に移籍し宝塚記念を制したカツアール、「降着制度の生みの親」ともいわれるニシノライデン中山大障害を制したローズムーンなど多くの名馬を送り出している。近年では2000年のスプリンターズステークスの勝ち馬ダイタクヤマト、2009年に高松宮記念スプリンターズステークスの春秋スプリントGⅠを制したローレルゲレイロが活躍馬である。


戦績編集

(馬齢表記は旧年齢表記)

4歳時(2戦未勝利)編集

デビューの地は公営北関東の足利競馬場である。1989年9月12日に実施されたサラ系3歳新馬戦において3番人気で2着。次走も足利競馬場で開催された10月13日の一般戦だったが3番人気で5着に終わる。そしてカールセンプーの現役生活はここで終了となった。


引退後編集

故郷のマル良牧場で種牡馬となった。ラストクロップのパワーセンプーホッカイドウ競馬でデビューし後に荒尾・佐賀と渡り歩き通算52戦6勝を挙げた。


余談編集


関連項目編集

競馬 競走馬


関連タグ編集

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