概要
かつて存在した日本の自動車部品サプライヤー。
シートベルト、エアバッグ、チャイルドシートを主力商品とした。
ホンダとの結びつきが強く、同社向けに圧倒的なシェアを誇った。
繊維産業で身を起こし、1935年にパラシュートの製造を開始。
これが後のシートベルト製造への足掛かりとなった。
1963年、日本で初めてシートベルトを標準装備したホンダのS500に、同社のシートベルトが採用された。
当時の日本ではシートベルトが義務化されていなかったため、そのパイオニアとしてタカタは一気に業績を拡大する。
尚、シートベルトの装備は1969年の法改正で義務化された。
1987年には、日本初のエアバッグをホンダと共同開発し、レジェンドに搭載。
こちらも国内におけるパイオニアであり、シートベルトと共に高いシェアを誇り、同社の成長を支えた。
倒産
2008年頃より、海外でタカタ製エアバッグの暴発による事故が報告されるようになり、死亡事故も発生した。
当初は責任を認めなかったタカタであるが、2015年にアメリカで制裁を受けたのを皮切りに大規模リコールに発展。
製造したエアバッグの全品交換と多額の損害賠償金がのしかかり、一気に経営が悪化した。
更に、信用失墜により顧客からの受注を失ったことがとどめを刺し、2017年6月に民事再生法を申請。事実上の倒産となった。
負債総額は約1兆823億円。これは戦後の製造業としては過去最多の金額であり、業界では驚きをもって広まった。
また、同年には下請けいじめにより報酬を減額していたことも明らかになった。
こうしてタカタは消滅し、中国系自動車部品メーカーのジョイソン・セイフティ・システムズに買収されて現在に至る。
余談
- 1998年から2008年まで、JGTC(後にSUPERGT)のGT500クラスで童夢チームのメインスポンサーを務めたため、モータースポーツファンには高い知名度を誇った。後にトヨタのエースになる脇阪寿一は、このチームからGTにデビューした。
- 先述の通り、桁違いの負債総額で世間を驚かせたタカタであるが、その僅か5年後の2022年にマレリが更新した(約1兆1856億2600万円)。奇しくも、両社とも自動車部品メーカーで、GTでメインスポンサーを務めたという共通点があった。
- 創業家一族の苗字の読みは「たかだ」である。
- 倒産後、前社長とその実母との間で、株式の相続をめぐる民事裁判に発展。お家騒動という形での醜悪な幕引きとなった。
関連項目
ジャパネットたかた:無関係。