概要
ニュートリノ (Neutrino) とは、標準模型における素粒子のグループの1つであり、レプトンの内電荷を持たない中性レプトンに分類される。今のところ電荷を持たないレプトンはニュートリノしか存在しない為、中性レプトンという語は、対となる荷電レプトンの対義語以外の場面ではほぼ使用されず、ニュートリノの語が一般的に使用される。フェルミ粒子であり、物質を形作る素粒子として名目上は分類されるものの、後述する通りその相互作用は非常に弱い為、事実上は物質を構成する素粒子からは外されている。
ニュートリノは全部で3種類の存在が予言されており、2000年までに全ての粒子が発見されている。ニュートリノの種類はフレーバーと呼称される。3種類のフレーバーがそれぞれ3つの世代に対応しており、名称も荷電レプトンの電子、ミュー粒子、タウ粒子に対応するよう電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノと名付けられている。
歴史
1896年の放射能の発見、及び1899年のα崩壊とβ崩壊の区別により、放射性崩壊の詳細な研究が進むと、1911年になってリーゼ・マイトナーとオットー・ハーンによって、β崩壊ではエネルギー、運動量、スピンの保存則が成り立っていない事が示された。当時はまだ核物理学自体が開拓されたばかりの時代であり、化学では成立する質量エネルギー保存則が核反応では成立しない可能性も示唆されたが、一方で未知の粒子の放出により、質量エネルギー保存則が保たれるという考えもあった。
1930年、ヴォルフガング・パウリは、電荷がゼロの中性粒子によって、β崩壊の保存則違反を解消する事を提唱した。パウリはこれを、中性である事を意味する "Neutral" に、陽子や電子の例を踏襲し、粒子の接尾辞 "-on" をつけて "Neutron" と呼んだが、1932年にジェームズ・チャドウィックが質量の大きい中性粒子を発見し、これも "Neutron" と呼んだ為、名称の被りが生じてしまった。そこで同年にエンリコ・フェルミが、チャドウィックの "Neutron" はそのままの名称を使用し、パウリの "Neutron" は、フェルミの母国語であるイタリア語で "Little Neutral" (小さい中性) を意味する "Neutrino" と呼ぶ事を冗談半分で提唱した。しかしながら、1933年にエドアルド・アマルディらによって、この案が本当に採択されてしまった。チャドウィックが発見した "Neutron" は、今日では中性子と呼ばれる粒子である。
今日でフェルミ相互作用と呼ばれる、1933年のフェルミのβ崩壊理論では、中性子が崩壊して陽子へと変化する際に、電子の他に中性の反ニュートリノが生じる事を予言したが、これはポール・ディラックの陽電子、ヴェルナー・ハイゼンベルクの陽子中性子モデルをβ崩壊に統合した画期的な理論であった。しかしながらその先進性から、世界的な科学雑誌であるNatureは「現実から乖離しすぎて憶測も多すぎる」として掲載を拒否、イタリアのNuovo CimentoとドイツのZeitschrift für Physikに投稿し、1934年に論文として一般に公開されたという経緯がある。Natureはこの掲載拒否について、創刊以来の最も大きなミスの1つであると認め、1939年にようやく掲載されている。しかしながら掲載を経てもなおフェルミの理論はなかなか注目されず、これはフェルミが理論物理学者から実験物理学者へと転向するきっかけとなった。この出来事が無ければ、フェルミは「ティッシュペーパーの飛ばされ具合から原子爆弾の威力を推定する」概算の達人とならなかったかもしれない。
しかしながら、他の粒子との相互作用がほとんどないニュートリノの実験的観測は困難を極め、一時は観測そのものが不可能ではないかとされた。フェルミの論文発表直後には既に、ルドルフ・パイエルスとハンス・ベーテによって、ニュートリノは地球をやすやすと貫通するほど相互作用が弱い事が指摘されたためである。ニュートリノの最初の検出は1956年になってからで、クライド・カワンとフレデリック・ライネスが反電子ニュートリノと陽子が衝突して起こる核反応を観測した事で証明された。
性質
ニュートリノ共通の性質として、電荷と色荷を持たず、質量もゼロではないが非常に小さい事が挙げられる。量子力学の世界では重力相互作用は無視できる存在の為、事実上ニュートリノが相互作用するのは弱い相互作用のみとなる。問題なのは、弱い相互作用は原子核の距離程度、せいぜい10^-16~10^-17mの距離でしか届かない事である。例えばニュートリノと原子との相互作用は、事実上原子核との衝突でのみ実現するが、原子核は「野球場の中心部に置かれた1円玉」程度のスケールしかなく、そこにピンポイントで衝突するのがいかに困難であるかは容易に想像がつく。実際の所、ニュートリノにとって地球や太陽は真空にも等しいスカスカの空間であり、大半は何の妨害も受けずすり抜けてしまう。カミオカンデやスーパーカミオカンデなどのニュートリノ検出装置が非常に巨大なのは、わずかな確率でしか起こりえない相互作用をできるだけ捕らえる為にあれほど巨大なのである。今この瞬間も、指の爪の面積とほぼ等しい面積を65億個のニュートリノが通過しているにもかかわらず、カミオカンデでは10分間に数個程度のニュートリノしか捕える事が出来ない。ニュートリノがすり抜ける事が出来ないのは中性子星かブラックホールのような常識外れの高密度空間のみである。
ニュートリノはこの相互作用の弱さから「幽霊粒子」と称されるほど、その実態をつかむのは困難を極める。実際、ニュートリノについては基本的な部分すら詳細が突き止められておらず、一部は明らかに標準模型の予言と反する性質を示している為、標準模型が完全な素粒子のモデルではない事を示唆している。
ニュートリノはβ崩壊を始めとした、弱い相互作用が介在する核反応において現れるが、その相互作用の弱さからその存在はほとんど無視される。ニュートリノと原子核は相互作用しうると言っても、ニュートリノが核反応の火種となる事はほとんど無視する事が可能であり、実験的に観測されたケースはない。一応、ニュートリノと原子核の反応は、元素の同位体の比率に影響を及ぼすので、間接的にその影響を知る事は可能である。
しかしながら一方で、ニュートリノが主役になる代表的なケースがある。それは超新星爆発である。超新星爆発では実に10^57個という膨大な数のニュートリノが形成される。超新星爆発では太陽がその生涯、100億年かけて放出するエネルギーをたった10秒で放出するが、これは光などの目に見える形のエネルギーである。これは超新星爆発の総エネルギーのたった1%に過ぎず、その100倍ものエネルギーがニュートリノの形で放出されているのである。しかも、目に見える形のエネルギーの放出、即ち超新星爆発の中心部で起こる莫大なエネルギーの放出は、ニュートリノが恒星の物質と衝突して加熱された結果生み出されたものであり、ニュートリノと恒星の物質との衝突がなければ爆発は起きないのである。
ニュートリノの直径は意味を持たない。標準模型において素粒子は直径ゼロの点粒子である事が予測されている。ニュートリノの直径の実験的観測は、およそ0.3am (3×10^-16m) 以下と測定されている。
ニュートリノの謎
ニュートリノ振動
ニュートリノの性質で最も特異なのは、ニュートリノの種類、即ちフレーバーが変化する性質である。これは、ニュートリノのフレーバーを決定付ける因子が振動しており、更にその周期が異なる為、移動する内に不確定性原理により異なるフレーバーが強く表れる為である。フレーバー因子の振動は他の粒子でも起こり、例えばクォークは既知である。一方で、ニュートリノはそれぞれの質量差が極めて小さい為、移動中にフレーバーが次々入れ替わるという極端な性質を示すと考えられている。
ニュートリノを検出する装置は、3種類のフレーバーのうち一部しか検出できない装置もある。ニュートリノ振動の発見は、太陽から来る電子ニュートリノが予測される数値の3分の1しか検出されない (太陽から来るニュートリノはそのほぼ100%が電子ニュートリノである事が期待される) 事により発見され、その後実証された。
ニュートリノ振動は、ニュートリノに質量が無くても起こり得るが、理論的に整合性がとりやすいのはニュートリノに質量を仮定する場合である。しかしながら、標準模型においてニュートリノの質量はゼロであると予言されており、標準模型との矛盾が生じている。また、ニュートリノに質量があると、それはそれで複数の謎を生み出している。
ニュートリノ質量
ニュートリノはニュートリノ振動の発見により、ゼロではない質量があると期待されている。その質量は、電子ニュートリノで2.05eV以下、ミューニュートリノで190keV以下、タウニュートリノで18.2MeV以下であると測定されているが、実際にはどのニュートリノも電子 (約511keV) の数百万分の1以下でないといけないとされる。
ニュートリノに僅かでも質量がある場合、重力相互作用をする為に、その量が宇宙に多く存在する場合には、暗黒物質の候補となり得る。暗黒物質は重力でのみその存在が明らかであり、他の相互作用をほとんど、あるいはまったくしない事が期待される。幽霊のような暗黒物質の存在が、幽霊粒子とも呼称されるニュートリノと疑っても不思議ではないが、一方でニュートリノの宇宙における総数は宇宙の初期状態からある程度推定できる為、ニュートリノがあまりに軽いと暗黒物質の一部しか説明できない事になる。宇宙論の研究者の間では、ニュートリノが暗黒物質である可能性は、その一部分を占めていたとしても、大部分ではないと考える意見が大勢である。
また、ニュートリノに質量がある場合、ステライルニュートリノという別の素粒子の存在を示唆する。ステライルニュートリノが存在すれば、なぜニュートリノがこれほどまでに軽いのかが説明できる可能性もある。
反ニュートリノ
ニュートリノは他のフェルミ粒子と同じく反ニュートリノを持つ可能性があるが、一方で電荷がゼロの為、ニュートリノの反粒子は自分自身である可能性もある。このようなフェルミ粒子をマヨラナ粒子と呼ぶ (マヨラナ粒子の対義語はディラック粒子と呼ばれる) 。
標準模型における素粒子において、マヨラナ粒子である可能性があるのはニュートリノのみである。ニュートリノがマヨラナ粒子である場合、β崩壊の特殊なパターンである二重β崩壊において、ニュートリノが見かけ上放出されない無ニュートリノβ崩壊が観測されうる。これは2個のニュートリノが同じ性質を持つ為に対消滅を起こす為である。
ニュートリノがマヨラナ粒子かディラック粒子であるかは、ニュートリノの質量や宇宙の初期状態を決定する上で重要な因子となる。
ステライルニュートリノ
ニュートリノに質量がある場合、ニュートリノのスピンは右巻きと左巻きが区別する事が可能である事を示唆する。スピンは粒子の自転のような性質であると例えられる。例えば時計回りに回転している物があるとして、反対側から見れば反時計回りに回転して見える。運動する粒子の場合、この "反対側から見る" という行為を行うためには、運動する粒子を "追い越して見る" 事で実現するという制約が存在する。この観測が行える場合にのみ、スピンの右巻きと左巻きの区別がつく事になる。ニュートリノの質量がゼロの場合、ニュートリノは常に光速でのみ運動する為、光速より速い速度が存在しない以上、ニュートリノを追い越す事は不可能である。しかしながらニュートリノに僅かでも質量がある場合は光速で運動する事は無い為、追い越して観測する事が出来る。
ニュートリノに右巻きと左巻きの区別がある場合には、観測すればニュートリノは右巻きと左巻きが同数観測されるはずであるが、実際にはニュートリノでは左巻き、反ニュートリノでは右巻きのみしか観測されない。この観測結果に対しては2つの仮説が唱えられる。まずは、右巻きのニュートリノと左巻きの反ニュートリノがこの宇宙には存在しないとする考えであるが、宇宙の対称性を考えるとその考えはかなり不自然である。
もう1つの考え方は、右巻きのニュートリノと左巻きの反ニュートリノは、実際には存在するが、観測に引っかからないとするものである。ニュートリノは重力相互作用と弱い相互作用しか相互作用しないが、弱い相互作用はスピンの影響を受ける為、右巻きのニュートリノと左巻きの反ニュートリノには相互作用しない。従って右巻きのニュートリノと左巻きの反ニュートリノは重力相互作用でのみ観測されるが、量子力学の範疇では重力相互作用は観測できないほど弱い為、観測されない理由となる。このような、弱い相互作用で観測する事が不可能なニュートリノの事をステライルニュートリノと呼ぶ。
ステライルニュートリノが存在したとすると、その質量はZボソンの崩壊によって観測できる、ニュートリノのフレーバーが3種類であるとする観測結果との整合性を取らないといけない。Zボソンの崩壊で生み出せるニュートリノと反ニュートリノの対の合計質量は、質量エネルギー保存則から、その合計値がZボソンそのものの質量を超えない為、ステライルニュートリノはZボソンの半分以上の質量を持っていれば、Zボソンの崩壊でステライルニュートリノが出現しない為、観測結果と矛盾しない。従ってステライルニュートリノの質量は最低でも45GeVもある事になり、非常に重い素粒子となる。ステライルニュートリノが何種類存在するのかは不明であるが、もし普通のニュートリノと対になる関係性を持つならば、ステライルニュートリノが非常に重い反動として普通のニュートリノが非常に軽いというシーソー機構が予言される。
ステライルニュートリノが実際に存在したとしても、重力相互作用で素粒子を捕らえる事は今の人類の技術では不可能である。しかしながらステライルニュートリノが崩壊するならば、その崩壊物を間接的に観測する事が可能であるかもしれない。
ニュートリノ背景放射
初期宇宙の光子である宇宙マイクロ波背景放射と同じく、初期宇宙における物質の相互作用の結果生じたニュートリノが観測される可能性がある。ニュートリノは相互作用が弱い為、宇宙マイクロ波背景放射の約38万年前の時代より更に遡り、宇宙誕生から1秒後以降の時代の状態を知る事が可能とされている。しかしながらニュートリノの相互作用の弱さに加え、ニュートリノ自体のエネルギーも低い事から、今のところニュートリノ背景放射は観測されていない。
その他
ニュートリノが質量を持っているか否かにかかわらず、ニュートリノの運動速度は必ず光速以下になる事は、特殊相対性理論から予言される事項である。しかしながら2011年になり、国際研究実験OPERAが人工のニュートリノを約370kmの距離を飛ばしてその到達時間を観測したところ、誤差の範囲内において光速より0.00248%速く到達するという観測結果が得られた。どんなにわずかな値であれ、光速度より速い速度は特殊相対性理論で禁止される為、この観測結果は問題であった。研究チームも当然ながら最初は測定方法の問題を疑ったものの、やがて自力では解決できないと音を上げてしまい、研究結果を公開して追試を求めるという行動に出た。その結果が重大である事から、これは一般大衆を含めて多くの関心を引いた。
この測定結果は、発表当初から極めて懐疑的に見られていた。特殊相対性理論は様々な角度からその正しさが証明されており、それが破れている可能性は極めて低かった。また、1987年には超新星爆発SN 1987Aの観測によりニュートリノの運動速度が光速度と極めて一致する (誤差約5000万分の1以下) 結果が得られているが、もしOPERAの観測結果を適用するならば、ニュートリノはSN 1987Aの観測より8年も前に観測されていなければならず、明らかな矛盾を生じていた。しかしながら一方で万が一にもニュートリノが光速度以上で運動する粒子ならば、それはニュートリノが虚数質量を持つか、余剰次元を通るなどの近道をしている可能性があり、新しい発見としては非常に興味深い結果をもたらす。
結局のところ、2012年には、OPARAのニュートリノ到達時間の観測精度が悪い事、及び光ファイバーケーブルの接続にわずかな緩みがあって信号速度に影響していた事が指摘され、他の研究チームによる追試から、この観測結果は否定された。