概要
いつ頃使われ始めたのかは定かではないが、古代エジプトの第一王朝成立以前の紀元前40世紀頃に作られた壺にヒエログリフらしき模様が描かれていたとされる。
文字としては象形文字らしく漢字のような表語文字も多いが、一方でかな文字やローマ字のような表音文字もあり(もっとも、通常はアラビア文字やヘブライ文字のように子音のみが利用されている)、当て字をする事もあったりする。
また、正確にはヒエログリフは石碑に刻む正式な文字を指し、パピルスに書くようなものはヒエラティックと呼ばれた。これは漢字における楷書と行書の関係に近い(さらに時代が下ると、漢字の双書に当たる略字体、デモティックも登場している)。
その後、東ローマ帝国の支配を受けていた4世紀頃にギリシャ文字をベースにしたコプト文字が使われ始めるようになると、元来のエジプト語の文字であったヒエログリフは使われなくなるようになり、次第に廃れていった(ただし、コプト文字の中にはデモティックから引き継がれた文字もあったため、全ての文字が全く使われなくなった訳ではない、とも言える)。
後にエジプトがイスラーム化するとエジプト語もアラビア語に取って代わられ、ヒエログリフも完全に忘れ去られる事となった。
このヒエログリフが再び読めるようになるのは、1799年にナポレオンのエジプト遠征軍によってロゼッタストーン(ヒエログリフ、ヒエラティック、ギリシャ語で勅令が書かれた石碑の一部)が発見され、それが重要な鍵のひとつ及び契機となって(誤解されがちだがロゼッタ石だけで解読が成し遂げられたのではない)研究が進められてからのことで、1822年にフランスの言語学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読された。