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フォークダンスDE成子坂

ふぉーくだんすでなるこざか

かつてホリプロに所属していた日本のお笑いコンビ(1990年 - 1999年)。2023年現在、双方ともに物故者となっている。
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メンバー編集

桶田 敬太郎(おけだ けいたろう、1971年10月4日 - 2019年11月23日) - ボケ担当

村田 渚(むらた なぎさ、1971年7月29日 - 2006年11月11日) - ツッコミ担当


概要編集

同じ中学校に通う同級生同士だった繋がりで結成し、1991年から1999年まで活動。活動時はホリプロに所属していた。ネタ作りは桶田が主導権を持ちつつも、二人で話し合って行っていた。


お笑い第四世代の一員として、桶田の人を食ったような独特なボケと、村田の鋭いツッコミで構成されるシュールな作風のコントで人気を博し、ダウンタウン松本人志爆笑問題太田光くりぃむしちゅー有田哲平ネプチューンキャイ~ン天野ひろゆきますだおかだの増田英彦、土田晃之古坂大魔王などお笑い業界の一線で活躍している数々の芸人達からも一目置かれていた。

また、ボキャブラ天国でなどでの共演者などをはじめとする同世代や先輩芸人のみならず、揃って面倒見が良い兄貴分なキャラクターもあって二人を慕う後輩も少なくなく、バイきんぐ小峠英二サンドウィッチマンなど様々な後輩にも影響を与えた。


しかし、そうしたお笑い界での評価や高い実力にもかかわらず、単独ライブを行った後音楽活動に専念したいという桶田の意向により解散する(ただし2000年代以後のお笑い業界は長引く不況からコントがテレビ局の「番組制作コスト削減」という名目で次々と潰されていったため、コンビ活動を継続したとしても本来の彼らの持ち味を活かせていたかどうかは怪しいところ)。


桶田は、音楽活動を経て、再びお笑い界に復帰し、youtubeチャンネルやイベントなどで不定期に新ネタを披露する傍ら、バラエティ番組などの構成作家、お笑いイベントのプランナーなどの裏方での活動に加え、後進の育成にも力を入れていた。

一方、村田は、その後もピンで芸人としての活動を続け、2005年には元坂道コロコロの松丘慎吾と新たに『鼻エンジン』を組んだが、2006年11月11日未明、自宅にてくも膜下出血により35歳の若さで急逝。


その13年後の2019年11月13日には、桶田も48歳の若さで病没。

太田によると、村田がこの世を去ってから間もなくしてガンが発覚し、懸命な治療の末一時は克服したものの、晩年は再び病状が悪化していたという。

当初は関係者の意向により、近親者や芸能関係者のみにしか知られていなかったが、翌2020年2月27日、桶田が晩年取締役として在籍していた芸能プロダクション『MR』によりその死が正式に公表された。


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