プロフィール
※ 現役中は本名を「照井 章仁(てるい あきひと)」としていたが実は親の離婚に伴うもので本名が異なるとのこと。
来歴
1996年、アニマル浜口トレーニングジムでトレーニングを積む。
1998年、FMWの練習生になったが、闘龍門の6期生の募集を知り、メキシコへ渡る。
2000年5月13日、メキシコ、アレナ・ナウカルパン、対神田裕之戦でデビュー。
吉野正人、辻本恭史(現:"brother"YASSHI)、近藤修司、八木隆行、高木省吾とユニット「イタリアン・コネクション」を結成してリーダーとなり一時は闘龍門マットを席巻するが、方向性とメンバーの造反で解散、自身もドラゴンゲートを退団。
以後Dragondoor、全日本プロレス、DDTプロレスリング、新日本プロレス等のリングに上がる。
全日では武藤敬司とタッグを組み、DDTでは男色ディーノとタッグを組んでしまいレイザーラモンHG風のコスチュームを身につけさせられて「ミラノコレクションGAY-T(ミラノコレクションゲイ-ティー)」に変貌してしまった。
新日では蝶野正洋復帰戦のパートナーを務めた。
2007年6月に行われた新日本「BEST OF THE SUPER Jr. XIV 〜Power Of Mind〜」で井上亘を破り初出場で初優勝。翌年2008年1月、新日本プロレス所属。
ジュニア戦線で活躍するが、6人タッグマッチ戦で目を負傷。右目下直筋下斜筋麻痺と診断され、手術は成功したがリハビリの回復状態は思わしくなかった事から2010年1月18日に記者会見を開き、引退を正式発表した。
引退後は新日本プロレスからはフロントとしての残留要請や宅地建物取引士試験に合格した事もあったが以前から東洋医学に関心があったことからその道に進む。
現在はマッサージ店を立ち上げ、新日本のリングの解説席で解説を務めるほか、女子プロ団体「スターダム」のスペシャルコーチとして活動している。
得意技
相手の足を胡坐のように交差型にロックさせつつ、両腕をロックさせて相手の動きを完全に奪いひっくり返す。
元々は「エル・ヌド(結び目固め)」という古典的なルチャの関節技である。
自分で解くのは困難な上、掛けられてる間はあられもない姿になるので、精神的にもダメージがくる技である。
これが決まると波止場のポールのように片足をつけてポーズを決めるのがお約束。
2017年からは新日本プロレスのSANADAが多用している。
ヴィクトリア・ミラネーゼ
背後から左腕で相手の左足膝裏付近を抱え、右脇を回した自分の右腕とクラッチ、そのまま投げ固める変型バックドロップ・ホールド。
BEST OF THE SUPER Jr.XIV参戦時、「高貴で上品なイタリア人。この技が出たら必ず勝つ」という己を示す意味で命名した。
STF
通常のSTFと違い、顔面を固めるのではなく、フルネルソン(羽交い絞め)をかけるのが特徴。
関連動画
吉野正人によるミラノ公認・技徹底解説(吉野正人公式YouTubeチャンネル)
A.T.ロック
イタリアンストレッチ No.32
イタリアンストレッチ No.8+イタコネ裏話