概要
1983年にアンソニー・キーディス(ボーカル)、フリー(ベース)、ヒレル・スロヴァク(ギター)、ジャック・アイアンズ(ドラムス)により結成されるが、バンド名をそのままつけたデビューアルバムにはヒレルとジャックは兼任していた他のバンドを優先し不参加。
1985年のセカンドアルバム「フリーキー・スタイリー」でヒレルが復帰。
1987年のサードアルバム「ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン」でジャックも復帰。しかしこれが唯一のオリジナルメンバー全員参加アルバムとなってしまう。
1988年にヒレルが急死し、ジャックはその悲しみに耐えられなくなり脱退。
1989年にジョン・フルシアンテとチャド・スミスが加入するが、ジョンは1992年に脱退、以降もギタリストが長続きせず、2011年にようやくジョシュ・クリングホッファーに落ち着くが、2019年にジョシュが脱退しジョンが復帰。
ファンクとヒップホップを、パンク・ロックやハードロックなどと混ぜ合わせた、ミクスチャー・ロックと呼ばれるバンドのひとつ(ただし、ミクスチャー・ロックは和製英語であり、日本以外では通用しない)。
現メンバー
アンソニー・キーディス(1962年11月1日~)
・ボーカル担当。バンド結成時からのオリジナルメンバーの一人(ただし、一時的に脱退していた)。
・学生時代は喧嘩っ早い暴れん坊だったが、一方で頭がよく面倒見がいい一面も。いじめられっ子や障害のある人を助けたりするなどさながら映画版ジャイアンのような存在でもある。
・破天荒エピソードが多い。「バーの帰り道に飲酒運転し、大事故に遭いながらも生還する」(危険なので絶対にマネしないこと!!)、「薬物乱用の影響でバンドを一時的にクビにされる」、「父親に初体験を準備してもらった」、「深酒して全裸でホテルを徘徊した」など枚挙にいとまがない。
・実は難関であるカリフォルニア大学ロサンゼルス校に合格するほどの頭の良さを持つ。出木杉君みたい・・・・。
・映画に出たことがある(シルベスター・スタローン主演の映画に子役で出演していた)。
フリー(1962年10月16日~)
・ベース担当。本名は「マイケル・ピーター・バルザリー」。
・アンソニーと同じく結成時からのオリジナルメンバーの一人。
・スラップなどの高度なテクニックを活かしたベースプレイが持ち味。彼に影響を受けたミュージシャンは多い(KenKenなど)。
・ライブでのパフォーマンスからハチャメチャなイメージが強いが、実際は真面目で紳士的なナイスガイ。ライブ途中で機嫌を悪くして帰ろうとしたアンソニー達を説得してなだめたことがある。
・学生時代は出身地であるオーストラリア訛りの英語が抜けずいじめにあっていたが、アンソニーに助けてもらったというエピソードがある。
チャド・スミス(1961年10月25日~)
・ドラムス担当。オーディションで加入したメンバー。
・身長191cmと長身でガタイが良いが、スタープラチナのようなパワーとテクニックを兼ね備えた優れたチートレベルのドラムプレイが特徴。
・バンドの良心的な存在。
・B'zのサポートメンバーをしていたことがある。
ジョン・フルシアンテ(1970年3月5日~)
・ギター・バッキングボーカル担当。チャドと同じくオーディションで加入したメンバー。
・少年時代からバンドのファンであり、ギターフレーズを完コピするほどであった。
・ギターは主にストラトキャスターを用いている。エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスに影響を受けたギタープレイが持ち味。
・1992年の脱退後は復帰するまで薬物中毒に苦しみ、うつ病にかかっていた経験がある。
・ロングヘアと髭が特徴的だが、一時的に坊主頭や短髪にしていたこともある。