概要
1975年4月12日生まれ。通称「タヌキ」「五十栗」(どちらも自らつけた)。某漫画では『播磨の虎』と呼ばれている。
エニックス(現スクウェア・エニックス)のガンガン系でデビューして以来、ずっとガンガン系で活動している。
初期は「曾我あきお」の名義でオリジナル作品「金科玉条!?お花守」を月刊少年ギャグ王にて連載。連載終了後はアンソロジーなどを不定期に担当していた。
その後ペンネームを「五十嵐あぐり」に変更するとともに、他の原作者の作画を主な活動とするようになった(ただし、オリジナルを全くやめたわけではない)。
2004年より土塚理弘原作の漫画「バンブーブレード」の作画を6年に渡り担当し、この作品が大ヒットしたことから彼女の知名度も大幅に上がることになる。なお、自身も元来土塚の大ファンである。
2011年より小林立原作の漫画「咲 -Saki- 阿知賀編」、2013年より「シノハユ」の作画を担当している。
小ネタ
- 基本はアナログで線画を描き、それをスキャンしてトーン貼りや彩色を施すという流れで行なっている。漫画制作ソフトはセルシスのComicStudioを持っているがあまり使用しておらず、彩色にはAdobe Photoshopを使用し、トーン貼りには専用ソフトを使用しているという。
- サイトの日記記事すら、手書きで書いたものをスキャンして載せている(時間がないときなどはデジタルで書くこともあるが)。
- 旧ペンネーム「曾我あきお」を現在の「五十嵐あぐり」に変更した理由は、「曾我あきお」の姓名判断が凶だったから。
- 自称である「たぬき」は、自身がタヌキ好きのためつけたもの。自画像もタヌキであり、ペンネームに「タヌキ」の3文字を入れる案もあった。また「五十栗」は「長くて書くのが面倒だから略した」とのこと。
- ゲーム好きで、特にファイナルファンタジー・ドラゴンクエストシリーズのファン。そのためか、旧ペンネーム時代はゲーム関係のアンソロジーコミックを描くことが多かった。
- 原作者の方針からではあるが、ヤング誌連載の「バンブーブレード」では一切色気ネタを描かず、逆に少年誌連載の「咲 -Saki- 阿知賀編」ではかなりきわどい作画をしている。これは本人も何度か日記でネタにしている。ちなみに、彼女の本来の画風ではあまりきわどい絵柄は描かれない。
- かなりの弟好きらしく、弟と遊ぶことが趣味であると公言している。弟は二人おり、日記に頻繁に登場するのは下の弟である(上の弟は結婚・独立しているので滅多に出ない)。
- 長く実家の4畳半の部屋で仕事をしていたが、狭さを理由に引っ越した。しかし新居も実家のすぐ近くであり、「弟がゲーム目当てでついてくるし、母が毎日のように差し入れを持ってきたりして、引っ越した気がしない」とのこと。
- 元々は遅筆だったが、「バンブーブレード」の作画担当時代に凄まじい速筆家になった。これは、アシスタントもいないまま、隔週連載で原作ネーム到着を待ってから作画しなければならないというハードスケジュールの経験から速筆力がついたためらしい。土塚理弘もまたとんでもない速筆家であるが、かといっていつも同じペースでネームが届くわけではなかったようである。
- アシスタントがいなかったのは、作業場が田舎すぎることから何度募集しても応募者が現れなかったためで、仕方なく彼女の実父がアシスタントとして主にスキャンなど簡単な作業を手伝っていた。更に母の知人の娘にも手伝いを頼んだことがあったという。あまりにもアシスタントが来ないので、エイプリルフールで日記に「アシさんが3人来ました」と書いたこともあった。その状態で二年余りが過ぎようやくアシスタントが見つかったが、父もまだ手伝いを続けているという。
- 風邪にめっぽう弱く、毎年頻繁に寝こむ。
- 毎年誕生日に年齢を聞かれるのはお約束のネタ。このとき実年齢を知っていてもそれを決して書いてはならないのもお約束。