ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

井上氏

いのうえし

井上氏とは日本の武家の家系。源姓・藤姓・東漢姓の3氏があるが、ここでは源姓井上氏をあげる。
目次 [非表示]

概要編集

源姓井上氏は河内源氏の祖である源頼信の三男・頼季が信濃高井郡井上(長野県須坂市)を領したのを始まりとしている(信濃井上氏)。

治承・寿永の乱では当時の当主・光盛木曽義仲、次いで源頼朝方に加わったが、1184(元暦元)年に誅殺された。その後は武士団形成が遅れるなど振るわず、戦国時代には上杉氏に属し陸奥会津出羽米沢転封に随行し、米沢藩士として明治維新を迎えた。

安芸井上氏編集

頼季の子・頼資を祖とする家。南北朝時代の当主・光純が備後や安芸に領地を与えられ下向したことが始まり。

光純の曾孫・光兼から毛利氏に仕え、その子・元兼の時には主家を脅かす勢いとなったが、1550(天文19)年に毛利元就により元兼ら主家に反抗的な人物30余名が粛清された。

他の一族は以降も中国地方の大大名から長州藩主となった毛利氏に仕え、特に光兼の弟・光貞の子孫・は明治維新の功績により侯爵に叙された。

三河井上氏編集

信濃井上氏の末裔と称しているが定かではない。実在が確実なのは徳川家康の家臣・大須賀康高に仕えた井上清宗からとなる。

その孫である正就は家康の三男・秀忠に仕え、1622(元和8)年に遠江横須賀(静岡県掛川市)52,500石を与えられた。以降転封を繰り返し遠江浜松(静岡県浜松市)6万石で明治維新を迎え、徳川家達の静岡移封のため上総鶴舞(千葉県市原市)に転封し廃藩置県を迎えた。

分家に正就の弟・政重が祖の下総高岡(千葉県成田市)1万石と正就の曾孫・正長が祖の常陸下妻(茨城県下妻市)1万石があり華族令施行後に三家全て子爵に叙爵された。

外部リンク編集

井上氏 - Wikipedia

関連タグ編集

武家 清和源氏 浜松藩 高岡藩 下妻藩

関連記事

親記事

武家 ぶけ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました