概要
来歴
埼玉平成高等学校、上武大学、社会人野球の住友金属鹿島(現・日本製鉄鹿島)を経て2009年ドラフト2位で当時の横浜ベイスターズに入団。
2010年4月25日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利をマークし、先発の一角として大きな期待を受けた。ところが、その後深刻なムエンゴ病に陥ってしまい、1年間一軍でフル回転したにもかかわらず3勝12敗と大きく負け越してしまった。この年の加賀の得点援護率(分かりやすく言えば自分が投げている間にどれだけ味方に点を取ってもらったか)は両リーグワーストの「2.47」だった。2011年は牛田成樹の離脱から中継ぎに転向したが、牛田の復帰に伴い自身も先発に復帰。6月に戦線離脱するも9月に復帰。特にムエンゴにも陥らず4勝をマークした。
2012年以降は主に中継ぎとして活躍。2014年の前半戦に再度先発復帰したが、結果を残せず中継ぎに戻っている。2018年シーズンをもって現役を引退することになり、同年9月21日の引退試合で先頭打者限定で先発登板した。
選手としての特徴
独特のサイドスローから繰り出すスライダーが武器で右打者には強いが、サイドスロー投手の宿命というべきか左打者に著しく弱い。また、右打者の外国人選手には滅法強く、2014年の対外国人右打者は22打数3被安打、被打率.136で本塁打も中日のエクトル・ルナに浴びた1本のみという驚異的な成績であった。その中でも特に東京ヤクルトスワローズのウラディミール・バレンティンには相性抜群で、2012年からの3年間で16打数無安打5奪三振、失点は犠飛の1のみとほぼ完璧に抑え込んでいる。
バレンティン自身もかなり意識してたようで、加賀本人に「なんで俺の時ばっかに投げるんだ」と冗談交じりに抗議してみたり(「加賀はそれを決めるのは自分じゃないんで言われても困る」と返したとか)、加賀からの初ヒットの際には記念としてボールを要求したり、ミレッジとの鼎談では日本の打ちにくい投手の代表格として二人して加賀を挙げた上で「あんなフォーム打てるか!」と共に大笑いしたりと、全盛期の彼にはお手上げであったようだ。
彼の引退試合では、敵チームかつ現役、シーズン中にもかかわらずコメントを寄せており、その際の第一声「加賀、バレンティンだ」はファンの間では語り草。
その他
ゲーム『がんばれゴエモン』の主人公に似ていることから、あだ名は「ゴエモン」。
最近では、その名字から『艦隊これくしょん』の加賀とのコラボネタ(⇒「艦これベースボール」の記事も参照)がネット上で多く見られるようになっており、ネット掲示板では彼が登板すると「一航戦の誇り」、抑えると「やりました。」、打たれると「大破」と書き込まれたりする。また、pixivでも艦これの加賀が横浜の加賀の投球フォームを真似した画像などが投稿されている。