概要
暴力団に所属しない者らによる日本の犯罪・暴力集団。メンバーには暴走族など不良上がりの者が多く、1990年代の暴力団対策法とその後の暴力団排除条例の施行後に台頭した。
メンバーの年齢層が若く、20~30代を中心に10代のメンバーすら珍しくない。明確なピラミッド状の組織構造を持たないのが暴力団との違いで、組長・若頭・相談役といった役職が存在せず、リーダー以外の立場は明確に決まっていないのが基本。事務所も構えておらず、繁華街のバーやクラブを流動的に拠点としている。
メンバーにはブルーカラー職が多く、飲食店、解体業、産廃処理業、不動産業、自動車整備業、芸能プロダクションの経営などの正業のかたわら、貧困ビジネスや出会い系サイト、風俗店の運営など後ろ暗い稼業に励み、振り込め詐欺や闇金融、麻薬の密売といった明確な犯罪に走ることもある。
詳細
暴力団の取材で知られるジャーナリスト溝口敦が命名。語源は「グレる」の“グレ”であり「愚連隊」の“グレ”であり、黒(裏社会)と白(表社会)の"グレー"でもあるという。
警察による定義は、「既存の暴力団のように組長をトップとする上下関係がはっきりしてはいないが、所属メンバーやOBが繁華街などで、集団で常習的に暴力的不法行為を行う、暴力団に準じる集団」というもの。
有名な半グレ集団として市川海老蔵への暴行事件を起こしたとされる「関東連合」や、中国残留孤児2世などで構成された「怒羅権」、大阪ミナミ界隈のぼったくりバーを取り仕切っていた「アビスグループ」とそのライバル組織「O7(アウトセブン)」、元格闘家が立ち上げた「拳月グループ」などが挙げられる。
当初は暴力団と距離を置きながら犯罪を繰り返しており、一時期暴力団の勢いを凌ぐかと思われたが、2012年に関東連合が「六本木クラブ襲撃事件」(人違い殺人)で大量の逮捕者を出して事実上消滅。同時に半グレに対する警察の目も厳しくなったため、以降は多くの半グレが暴力団の影響下に置かれる事となり、暴力団からシノギ(経済活動)役や実行部隊として使われている例も多くなっている。
半グレを脱退したメンバーが暴力団に入る例も目立つようになり、暴力団の側も近年は新人を組員として登録せず傘下の半グレで活動させるようになるなど、多くの半グレが事実上の暴力団の下部組織と化している。
その為、警察側も半グレ組織を「準暴力団」と位置づけ、闇バイトなどで彼らに関わらないよう注意を呼び掛けている。
社会問題化
暴対法の施行により、旧来の暴力団があらゆる権利を制限され衰退すると、暴対法の制約を受けない半グレ集団が勢力を伸ばすようになる。
時流に乗ってSNSをフル活用し、起業家や実業家、もしくは遊びのプロを演じてフォロワーを増やして味方にする場合もある。京都府では、半グレに実行部隊として雇われた難関大学(京都大学・同志社大学・立命館大学など)の男子大学生が大量に検挙された事があった。その内容は、女子大生をぼったくりバーに誘導し、借金を背負わせたうえで風俗店に斡旋するというデート商法であった。多数の女性が被害にあい、人生を狂わされた。彼らはおよそ犯罪とは程遠いような清潔感のある半グレに、意識高い系な誘い文句で巧みに洗脳されており、逮捕後も「上下関係を学べた」「社会勉強になった」「PDCAを回せた」などと供述していたという。
このように、一般社会にまで広く浸透した半グレの勢力を解明することは困難であり、暴力団に代わる新たな社会問題となっている。