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周布政之助

すふまさのすけ

周布政之助とは、江戸幕末期に活躍した長州藩士。藩政改革を進めた村田清風を継いで、吉田松陰や桂小五郎らと正義派という派閥を率いて活躍するも、最終的に禁門の変で失脚し、責任を感じて自害した。 生没年:1823~1864
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プロフィール編集

生没年:1823年〜1864年

通称:政之助

諱:兼翼

別名:麻田公輔


概要編集

政之助は毛利家の重臣益田氏の支流の一族である周布家の五男として1823年に生まれるも父や兄の急死に伴い僅か6ヶ月で家督を継承している。


1847年に当時祐筆であった椋梨藤太の側役として抜擢されると、徐々に頭角を現していく。さらに藩政改革にあたっていた村田清風の薫陶を受けた。


1855年頃から藩の重鎮として、軍制改革や財政整理を推し進めるも、意見が対立したかつての上役にして生涯の政敵となった椋梨らによって失脚した。その後も改革派と保守派の対立に加え後述のように政之助自身も酒絡みの失態を度々起こしたことから復権と失脚を度々繰り返している。


1862年に長井雅楽航海遠略策を支持するも、高杉晋作久坂玄瑞らの反対にあり撤回し、藩論を攘夷に位置付ける。また、同年には酔っ払った末に土佐藩先代藩主山内容堂に無礼を働いた「梅屋敷事件」を起こし謹慎を食らい麻田公輔と改名している。


1864年、前年の八十八夜の政変池田屋事件の凶報を受け遊撃隊総督の来島又兵衛が久坂義助(玄瑞)や久留米の神官の真木保臣に脱藩浪士たちを率いる土佐出身の中岡慎太郎らも巻き込んで唱えた「京の攻め込んで長州の政治的な主導権を取り戻すべき」という強硬論を、高杉や桂小五郎らと共に抑えようとするも失敗し高杉は脱藩の罪で野山獄に入れられる。その後、政之助は酔っ払って高杉がいる野山獄へ乗り込み抜刀する奇行をやらかしまたも謹慎の身となる。


禁門の変の結果、長州は敗れて政敵となり幕府から長州征討(第一次長州征伐)の軍を起こされる。その後は椋梨らに実権を奪われ政之助は失脚し、責任を感じて庄屋の吉富藤兵衛の宅で自害した。享年42。



創作物における周布編集

ドラマ編集

ゲーム編集

英傑大戦、周布政之助、色紙


「高杉、うぬは天を目指すか?」


長州藩の柱石と称された周布は、何故か世紀末覇者を意識させる容姿で実装。容姿だけでなく、台詞まで明らかに意識されている。


緋勢力所属、レアリティNの江戸・幕末の1.5コスト武力5知力7特技「防柵」持ちの騎兵として実装。コスト比武力は標準値をキープしながら、高めの知力と敵軍の進軍を阻む「防柵」と守りに強い計略を持つ優秀な騎兵。緋勢力は武田家という大戦シリーズでは騎馬が強い勢力が同居しているが、周布はそれらを含めても優秀な騎兵である。


計略は消費士気4の「漢の維持」。

効果終了時に周布が撤退するデメリットはあるものの、9.2cも周布の武力が+10されるという破格の武力上昇値を誇る。また、「漢の維持」は旧作とは違い制圧力上昇が無くなった代わりに効果時間が伸びており、戦器・計略を持ちいた各種知力上昇手段の併用と高知力である周布には追い風となっている。

城際を裏の手や攻めでの最後の一推しで活躍できる一枚。


関連タグ編集

長州藩 高杉晋作 桂小五郎

酒豪  酒乱

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