大野まりな
おおのまりな
デビューからグラビアでの活動まで
14歳ごろからアイドル歌手を志し、さまざまなオーディションに応募するようになる。
『ミス・エクボ堂コンテスト』でグランプリを受賞し、同番組レギュラーとして活動を始める。その後、広島で開催された『海と島の博覧会・美少女コンテスト』で優勝したことを期に、本格的に芸能界入りを決意して上京。芸能事務所に所属する。
しかし、数々の大人の事情により、デビューのチャンスに恵まれなかったため事務所を移籍。「松本裕美」の名前で乙女塾一期生となる。一時は派生グループのribbonメンバー候補に上がったが、堀越学園への転校・入寮が前提であったため多額の費用がかかること、母子家庭ゆえに親元を離れられない事を理由にメンバー入りを断念した。
その後、モモコクラブ(雑誌『Momoco』のコーナー)に「片山裕美」として掲載され、タレント活動を行うも、運悪くアイドル冬の時代に突入。歌手デビューの機会には恵まれなかった。
この頃、『夢幻戦士ヴァリスII』発売に伴う「'89 日本テレネットイメージガール”セーラー服 優子”オーディション」にも参加しており、ファイナリストとなったが宮本裕子に敗れている。
歌手の夢は諦めきれず、1993年には芸能活動における「ステップ」の一環として、母に土下座で許可をもらい、「麻生ひろみ」の名前でヌードグラビアモデルとして活動を始める。当時はモデルによるヘアヌード写真集がある種のブームであり、このブームに便乗する形であった。
デビューグラビアを担当したカメラマンはアイドルグラビアを得意とする野村誠一である。気づけばフィルム100本以上消費するほど撮影し、本来ならヌード写真集を出せるレベルだが、契約の都合でお蔵入りとなったという。
雑誌『スコラ』でモデル活動を続けながら、脇役で映画などに出演するなどしていた。
声優として
歌手デビューを諦めきれずに模索していたところ、青二プロダクションのマネージャー経由で「声優になれば歌が歌える」と聞いて声優となることを決意。芸名を「大野まりな」に改め、青二プロダクションに移籍。声優として活動を始める。
「アイドル声優」という存在が流行り始めていた時期であったこともあり、声優デビューからまもなくして念願の歌手デビューを果たす。
声優としても徐々に人気を獲得し、1997年には「リカちゃん電話」におけるリカ役(2代目)に抜擢されるほどとなった。しかし、初アルバムリリース直後に先述のヌードグラビアでの活動を週刊誌で報じられ、さらにはスポーツ紙にまでも取り上げられたことから、スポンサーの意向によりあえなく降板する。
その後も声優として活動を続けるが、新天地を求めて事務所を移籍し、アダルトゲーム分野に進出。『妹でいこう!』の吉住麻由夏役で「エロゲ声優」としてデビューを果たす。このときに主題歌を担当したことから萌えソング・電波ソングの分野でも知られることとなった。
アダルト作品に出演している声優としては珍しく、全年齢向け作品と名義を変えない上、顔出しOKの声優であった。数々のイベントに出演し、歌手としても精力的に活動を行った。
自身が演技において苦労したことから、美少女ゲームの演技における技術の専門性を重視しており、アトリエピーチ顧問、「桃塾」塾長として後進の指導に当たっていた。芸能界での長い下積み経験もあってか、演技はもちろん自己アピールやCM、ゲストとの会話術など、芸能人として必要となる立ち振舞いや芸能人としての作法などの分野を担当した。
2018年4月8日、本人のTwitterアカウントにて、2019年12月31日をもって引退することを表明。翌年にはアトリエピーチ顧問・桃塾塾長を退任し、個人でのライブ活動などに専念した。
その後、2020年1月1日からHoney Rushに移籍し、「まりなりな」に芸名を改める。歌手活動は引退したが、声優・音響として現在も活動を続けている。その後、2022年12月9日、芸名を「大野まりな」に戻した。
えくぼとツインテールがトレードマークである。撮影でバリに行った際、現地ではえくぼのある女性は女王様のような扱いになるようで、多くの人が集まってきたと語っている。
ツインテールは周囲からの「中年になったらやめた方がいい」という意見を退け、今でも続けている。
カフェインとアルコール、どちらも大の苦手である。アルコールだけではなくカフェインでも酔ってしまう体質の為、両方が含まれるウーロンハイは一番嫌いな飲み物であるという。
芸能リポーターの梨元勝には前述の過去をすっぱ抜かれたときにエールを送られるなど、本人にとって恩人のような存在であった。事実、彼が亡くなるまでメールでの交流を続けていた。
特技のことは金銭的な事情さえなければ正式に師範代が取れるレベルであるという。
娘は歌手のemari+である。ラストライブで初めて公表し、デュエットを披露した。
※詳細はWikipedia等を参照