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概要編集

本名:山松雄吉(1948年7月8日~)

日本の漫画家

青年誌を中心にユーモアペーソスあふれる作風で活躍し、ギャンブル漫画で知られる。


来歴編集

1948年7月8日、鳥取県倉吉市に誕生。

1964年、中学校を卒業。貸本出版社日の丸文庫大阪市)に持ち込みをした結果、編集者兼漫画家として雇用される。山上たつひこ等と共に会社に住み込みで働く。

1965年、短編集「オッス」(日の丸文庫)に『田舎医者』が掲載され、漫画家デビュー。

1966年、日の丸文庫を退職し上京。あすなひろし川本コオ高信太郎などのアシスタントを務める。

1967年、「週刊漫画TIMES」(芳文社)に『ヤクザ無情』が掲載され商業誌デビュー。


1970年代には競輪選手を志し、鳥取県に帰郷して猛特訓を行ったが、競輪学校年齢制限のために挫折して漫画家復帰。

1973年、映画津軽じょんがら節』(斎藤耕一プロダクション)に出演。


1980年、「ヤングコミック」(少年画報社)で『2年D組上杉治』を連載。『2年D組シリーズ』として人気となる。

1982年、「近代麻雀」(竹書房)で『エラヅヨの殺し屋』を連載。

1983年、「ガロ」(青林堂)で『怪力エンヤコーラ』、「近代麻雀」で『西子・或る女雀師の一生』を連載。

1985年、「漫画ゴラク」(日本文芸社)で『ギャンブル馬鹿』(原作:牛次郎)、「コミックモーニング」(講談社)で『ニッポン玄人考』(原作:七三太朗)を連載。

1993年、「漫画ゴラク」で『にっぽん神童伝』を連載。


2004年、単身でインドへ渡り、『血だるま剣法』(平田弘史)のヒンディー語版を出版。

2005年、インドでの体験を元に「漫画ゴラクネクスター」(日本文芸社)で『インドへ馬鹿がやって来た』を連載。


おもな作品編集

インドへ馬鹿がやって来た

くそばばの詩

万病マージャン

にっぽん自転車王

外人パチンカー

中年死刑囚

ヴァラナシの牙


関連タグ編集

漫画家 ギャンブル 麻雀

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