概要
1932年〈昭和7年〉7月10日生まれ、大阪府大阪市大正区出身。
父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごしたが、1945年2月に戦況の悪化を受けて、母・弟と3人で日本へ帰国。
母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移ると母が自宅で始めた美容院が繁昌。自身も高校三年生の時に美容師免許を取得。
大学卒業後はヤンマーディーゼルに就職。技術部長の秘書としての傍ら、自社の耕運機の宣伝カタログでモデルをつとめるなどした。
その後、稽古事として習っていた茶道(裏千家)・華道(未生流)の師匠の推薦で大映に入社。
周囲の反対を押して転身したものの、いわゆる大部屋の末席扱いで大した仕事もなくおもに時代劇の端役などで、1年余りを過ごした。
その後吉村公三郎の監督映画『夜の蝶』で現代劇(東京・多摩川撮影所)に転籍、1958年(昭和33年)の『手錠』(阿部毅監督)で実質的なデビューを果たした。新聞の映画評で「和製ソフィア・ローレン」「久々のヴァンプ女優」などと取りあげられたが3年目に演技力の限界を感じ、2年の契約を残して京都へ帰ったが、五社協定に縛られていたため、1963年(昭和38年)まで京都と東京の間を往復しながら契約本数を消化。
その後母の仕事を手伝っていた昭和38、9年ごろ、室町の呉服問屋から声を掛けられ、デパートの呉服売り場で着付けを実演する「きもの教室」の講師を手探りで始めた。これが女性の新しい仕事として新聞・雑誌がこれを紹介、全国の百貨店を周って実演するうちに、名前が売れ人が集まるようになった。
1967年(昭和42年)全国ネットの生番組『ハイ!土曜日です』(関西テレビ)の「市田ひろみ きものコーナー」をはじめ、NHK教育の番組「婦人百科」(のち「おしゃれ工房」)にも出演し、以後30年にわたり着物の回を担当。その一方で講演などの依頼が増え、専門的な知識の必要を感じたため、文様・染織・生地のほか服飾史や通過儀礼などの勉強を独学で始め、その後の自身の得意分野にした。
1968年、京都西陣の織屋から民族衣装など外来の文様を取り入れた着物や帯をデザインしてほしいとの依頼で、ヨーロッパ11か国を旅行したことをきっかけに、世界の民族衣装を収集も開始。
1993年にサントリーの緑茶飲料「京番茶」(現在の伊右衛門の前身にあたる)のCMに出演。CMで演じた「京女」役のコミカルなキャラクターが注目された。
以後、京都を舞台にしたドラマや映画2本、公共広告機構(現:ACジャパン)、ローソン、大阪西川⇒西川リビング(現:西川)、サントリー等のCMに出演。
2001年11月には、平成13年度「現代の名工」に選ばれた。
2022年〈令和4年〉8月1日午後5時50分、急性呼吸不全のため、京都市上京区の病院で死去した。90歳没。一生独身であった。
ちなみに市田ひろみ美容室は、ひろみ没後も姪が社長となり引き続き営業している。