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概要編集

監督は黒澤明、主演は仲代達矢。180分。ハリウッドの大手スタジオから世界配給された最初の日本映画で、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーとして参加した。


第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、第53回アカデミー賞で外国語映画賞と美術賞の2部門にノミネートされた。


あらすじ編集

時は戦国時代、あやうく処刑をまぬがれた盗人が武田信玄の影武者となり、信玄の幻に威圧されながらも敵をあざむいていく。だが男にとって戦国の雄・信玄として生きることはあまりにも過酷だった……。


キャスト編集


『影武者』騒動編集

主人公である武田信玄の影武者は特報段階では勝新太郎が演じており、当初は勝が影武者、そして本物の信玄は勝の実兄である若山富三郎が演じる構想だった。

しかし若山は「そんなうるせえ監督に出られねえよ」とオファーを辞退。勝が二役を演じることとなった。

弟の気性を知る若山は勝が黒澤とトラブルになることを予見していた。

主演に決まった勝は京都の料亭で黒澤をもてなすなど大層乗り気ではあったものの、撮影が始まってから勝と黒澤は方向性の違いから対立。独自の演技観を持つ勝と完璧な画作りを求める黒澤は相容れず、とうとう勝は衣装を脱ぎ捨ててワゴン車に閉じこもった。黒澤の言動にカッとなって勝が掴みかかりそうになり、プロデューサーの田中友幸が勝を羽交い絞めにしたこともあったという。

最終的に勝は降板となり、勝の友人でもあった仲代達矢が起用された。このほかに緒形拳原田芳雄が候補に挙がったとされており、実際に原田のもとにオファーが来たものの断ったという証言がある。

仲代は撮影前に勝から黒澤組について聞かれ「黒澤さんのことは全部聞いたほうがいい」とアドバイスしたこともあった。代役を引き受ける前にも勝に了承を得ようとしたがどうしても連絡がつかなかったという。

勝は未練を感じていたようで復帰を画策していた。完成した作品にも「俺が出ていれば面白かったはずだ」と不満をあらわにしていた。

この件で勝と仲代は疎遠になってしまったが、仲代の妻・宮崎恭子の葬儀で再会し互いに抱き合ったという。


このほか長らく黒澤作品の音楽を担当していた佐藤勝がダビング段階で黒澤と対立し降板したという事件もあった。

黒澤は佐藤に既存の楽曲に似た楽曲を作曲するように依頼し、エドヴァルド・グリーグの「ペール・ギュント」に似た曲を要求したが、佐藤は納得できず降板した。そのため武満徹に打診したが、最終的に武満の推薦で池辺普一郎が起用された。


余談編集

本作で信玄は野田城を攻め落とそうとしていたときに狙撃されて討ち死にしたとされている。

定説では信玄の死因は病死とされているが、徳川家臣の菅沼定盈が守る野田城を包囲していた際に定盈配下で笛の名人として知られた村松芳休の美しい笛の音色に誘われて本陣を出た信玄が芳休の同僚である鳥居三左衛門に狙撃された傷が原因で死亡したという説が主に愛知県新城市周辺で伝わっている。本作の導入部はこの説が元になっており、山岡荘八の小説『徳川家康』や『織田信長』にも採用されている。

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