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御屋形様

おやかたさま

御屋形様は室町時代から幕末までの守護大名や戦国大名、大名の敬称、尊称。明治以降は他人の父親の尊称の一つ。
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概略

お館様御館様も参照。


公家や武家の貴人の居館を「屋形」と呼ぶことを起源とした称号・敬称で、屋形号保有者を指す。明治以降は他人の父親を指す尊称として使用されるようになる。


室町・戦国・安土桃山時代

当初は室町幕府や関東公方が斯波武衛家や細川京兆家などの足利の家号を持たない有力足利一門や京極家、大内氏、山名氏などの有力守護大名、奉公衆を務めた国人領主に免許していた。

なお、初期に室町幕府より屋形号を免許された家を「室町二十一屋形」、関東公方に屋形号を与えられた家を「関東八屋形」と俗に言われるらしい。また、室町幕府の許可の下に九州探題が屋形号を与えた少弐家、大友家、島津家を「九州三屋形」と呼んだ。


ちなみに、関東公方などの「足利」の家号を持つ分家には、御屋形号より高位の「御所号」や「公方号」が免許されていた。


その後、室町幕府や織田政権が戦功や献金の恩賞として一字拝領同様に屋形号を与えるようになる。


江戸時代

江戸時代には再度免許制となり、徳川御三家や室町・戦国・安土桃山時代に御屋形号が免許されたことがある親藩、外様大名、交代寄合の一部に免許された。


仙台藩米沢藩では藩内における藩主の敬称として「御屋形様」を使用している一方、薩摩藩は藩主の敬称としては使用していなかったりと藩内での使用状況はマチマチだったりする。


江戸時代の御屋形号を認可された大名

江戸時代後期から幕末に刊行された武鑑のうち、幕府御書物師である出雲寺出雲(万次郎)蔵版のものについては、屋形号を認可された藩の大名について『御屋形号』と明示されていた。出雲寺版武鑑で確認できる屋形号保有大名は以下のとおり。


先述の通り、御屋形号を藩主の敬称として藩内で使う藩もあれば、そうでない藩もある。


大名家備考
尾張藩(名古屋藩)尾張徳川家徳川御三家
紀州藩(和歌山藩)紀州徳川家徳川御三家
水戸藩水戸徳川家徳川御三家
越前福井藩越前松平家本家徳川家御連枝、関東八屋形・結城家後身
薩摩藩島津家本家九州三屋形
仙台藩伊達家本家陸奥守護職。藩内敬称として使用
萩藩(長州藩)毛利家本家戦国時代の室町幕府相伴衆。第一次長州征伐ではく奪。
久保田藩(秋田藩)佐竹家本家関東八屋形
米沢藩山内上杉家関東管領家。藩内敬称として使用。

明治以降

明治以降は他人の父親に対する敬称の一つとして「御屋形様」を使用するようになるが、現在ではあまり使用しなくなっている。なお、他人の母親への敬称の一つとして「御母堂様」がある。


ちなみに御三家当主だった徳川光圀徳川宗春徳川斉昭も屋形号保有者、徳川吉宗徳川家茂は屋形号保有者の時期があるのだが、戦後以降の創作物で『御屋形様』と呼ばれることが意外になかったりする。



pixivのタグとしての利用

pixivのタグとしては、上杉謙信(長尾景虎)伊達政宗に関するタグとして「御屋形様」を使っていることが多い。



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