概要
日本の科学評論家、SF作家、超古代文明研究家。
1960年代には自ら「前衛科学評論家」と名乗っていた。
1932年生まれ、2017年没。東京府北豊島郡三河島町(現・荒川区)出身。
終戦後、原子破壊機を発明してアメリカに復讐するという動機から物理学を学び、東京教育大学で素粒子論を学ぶ。
「日本空飛ぶ円盤研究会」に所属し、そこで星新一と知り合ったことから日本SF界との人脈ができ、1963年に結成された「日本SF作家クラブ」のメンバーの一人となった。
科学知識が豊富なので、1960年代から1970年にかけラジオやテレビで科学解説者として活躍し、それと並行して雑誌や児童書においてオカルト及び超科学に関する記事を多数担当して、現在一般化しているオカルト知識を広めることでブームを支えたといわれる。
上記の人脈と知名度から筒井康隆の短編『ベトナム観光公社』に「サイトラ・モリチャロスキイ+」の名で登場させられたり、手塚治虫の『ドオベルマン』に実名で登場していた。
1970年代の妖怪ブームの際、当時は妖怪についてのまとまった資料があまり無かったことから、怪奇作家佐藤有文らと、オカルト記事の要領でいくつもの妖怪を創作したといわれている。
斎藤が創作した妖怪は、いかにもそういった伝承がありそうなものが多く、ネーミングも凝っていたことから、21世紀になり有志により古書や国会図書館などで検証されるまでその実在が広く信じられていた。
その後超古代文明について紹介した数多くの著書を残し、過去の創作物について興味を持った若い世代の取材も受けていたが、2017年に老衰により亡くなった。
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