概要
方相氏とは、大晦日や節分に行われる追儺(ついな)式、即ち鬼やらいの時に魔や鬼を払う為に出てくる神様、或いはその神様に扮装する役目の人々の呼称である。また、天皇・親王・太政大臣の葬送の際には棺を載せた車の先導をも務めた。
黄金で出来た四つ目の仮面を被り、玄衣(黒い衣)に朱の裳(もすそ)を着用し、手には鬼を斬る大きな刀や矛・盾を持ち、疫鬼等を追い払う。
宋の時代には方相氏から鍾馗に置き換わっていき、さらには追儺の儀式自体が爆竹に置き換わって追儺の儀式は衰退していったものの、一部の地域では「儺戯」として現在に伝わっている。
追儺の儀式は後に日本にも伝来されたものの、後年には方相氏は奈良の寺院を中心に毘沙門天に置き換わったり、あるいは所謂「節分の鬼」の伝承の元となったと言われる(つまり、鬼を払う立場から自ら払われる立場に零落したと言う事になる)。古代史家の三宅和朗氏はこの変化について「平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないか」と言う説を提唱している。恐らくその最たるものが徳川宗春によって禁止された、旅人を捕らえ「儺追人」として罪穢れをなすりつけて殺害する野蛮な生贄儀式と化した尾張国府宮の「儺追捕神事」である。(その後宗春公によって大幅に改善された上で復活したものが今の「儺追神事」、いわゆる国府宮はだか祭である。)
そして、多くの場合は追儺自体が鞍馬寺や貴船神社によって発明された「豆打ち」に置き換わり現在の節分となっている。
フィクションにおける方相氏
秘密結社コドクノマレビトが計画の障害と危険視した十四代目葛葉ライドウを不浄の地に追放するために使役された。