概要
化学・繊維・住宅、建材・エレクトロニクス・医薬品等の事業を行う。総合化学業界としては国内売上高第3位。
旭化成グループの持株会社でもある。
沿革
1903年 | 野口遵が鹿児島県伊佐郡に水力発電所を作り、曾木電気株式会社を設立したが、当時の鹿児島県に電気の需要がほとんど無く、1907年に電気を活用するため熊本県水俣市に日本カーバイト商会を設立。 |
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1908年 | 日本カーバイト商会は曾木電気株式会社と経営統合し、日本窒素肥料株式会社となった。- |
1922年 | 帝人のレーヨン事業の成功を見た野口遵は、日本綿花の喜多又蔵と協力して旭絹織を設立した。 |
1923年 | 日本窒素肥料株式会社が宮崎県延岡市の工場でアンモニア製造を開始。 |
1929年 | 日本ベンベルグ絹絲株式会社を設立。 |
1931年 | 日本ベンベルグ絹絲株式会社延岡工場で人工繊維の一つである銅シルク(ベンベルグ)の製造を開始。延岡アンモニア絹絲株式会社を設立。 |
1933年 | 延岡アンモニア絹絲株式会社が日本ベンベルグ絹絲株式会社、旭絹織株式会社を合併し、旭ベンベルグ絹絲株式会社と改称。 |
1943年 | 旭ベンベルグ絹絲株式会社が日本窒素火薬株式会社を合併し、日窒化学工業株式会社と改称。 |
1946年 | 日窒化学工業株式会社が旭化成工業株式会社に改称。 |
1960年 | アメリカ合衆国の化学メーカー「ダウ・ケミカル」との合弁会社がサランラップの製造・販売を行った。 |
1962年 | 西ドイツのヘーベル社からの技術導入で軽量で耐火性に優れた住宅用建材・ALC(軽量気泡コンクリート)を製造。 |
1972年 | ALCを使用した高級プレハブ住宅「ヘーベルハウス」を、子会社・旭化成ホームズを通じて取り扱い開始。 |
1980年 | ALCを利用した外壁材「ヘーベルパワーボード」を子会社・旭化成建材を通じて販売開始。 |
1982年 | ダウ・ケミカルとの合弁を解消。日本での製造・販売権を譲渡され、現在も関連会社を通じてサランラップの製造・販売を行っている。 |
1985年 | 旭化成社員の吉野彰(現:旭化成株式会社名誉フェロー)がリチウムイオン二次電池(LIB)の基本概念を確立(2019年にノーベル化学賞を受賞)。 |
1992年 | 東洋醸造株式会社を合併した後は日本酒「富久娘」や焼酎「チューハイハイリキ」等を富久娘酒造株式会社を通じて販売していたが、現在は全て他社に譲渡されている。 |
1996年 | ダウ・ケミカルが手掛けていた食品用保存袋・ジップロックの製造・販売権をライオンから譲渡された。 |
1999年 | 子会社の旭フーズ株式会社やサンバーグ株式会社の食品事業を日本たばこ産業株式会社(JT)へ譲渡。 |
2001年 | 社名が「旭化成」となり、コーポレートアイデンティティとして『AsahiKASEI』の使用も開始された。 |
実業団チーム
1951年(昭和26年)創設の柔道部は、全日本実業団体対抗大会を11回制した名門で、上村春樹、中村兼三、内柴正人、大野将平と4人の金メダリストを輩出したのを初め、シドニー五輪の100kg超級銀メダリスト・篠原信一等9人で延べ12回の出場を果たしている。また2004年アテネ五輪銀メダリスト・泉浩も明治大学卒業後、旭化成入りしている。
1946年(昭和21年)創設の陸上部は、全日本実業団対抗駅伝競走大会で歴代最多25回の優勝、マラソン選手では、1992年のバルセロナ五輪銀メダリスト・森下広一の他、宗兄弟(宗茂・宗猛)、谷口浩美、川嶋伸次、千葉真子、宮原美佐子、安部友恵など、男女ともに強豪選手を輩出している(2010年以降は女子選手は不在。男子のみ宗猛・陸上部総監督の下で活動)。
当初は長距離種目のみならず、トラック・フィールド種目も行っていたが、1983年4月に長距離種目に一本化された。
2021年に競歩の池田向希が東洋大学から入部、東京五輪20㎞競歩銀メダリストとなっている。
関連タグ
フジテレビ:「スター千一夜」、「なるほど!ザ・ワールド」、「ミライ☆モンスター」のスポンサーを務めた