概要
無双奥義・奥義皆伝の文字:『剛』『活』
番外タイトル『戦国無双chronicle 2nd』から登場したプレイアブルキャラクター。
後に『戦国無双4』にてナンバリング参戦した。
柳生新陰流開祖・柳生宗厳(石舟斎)の息子。
“天下を治めるための剣”を探し求め、各地で剣術の興行をしながら大名家を転々としている。
長身で筋骨隆々の屈強な肉体の持ち主。
普段は温厚でのっそりとした言動を用いるが、戦闘時には剣術家らしい機敏な太刀筋をみせ、政治家としての一面も垣間見せている。
一人称は「おじさん」(真面目な時は「拙者」)。
ただし、史実における宗矩の出生年は1571年であり、前作の時点で最年少だった幸村・政宗・宗茂ら1567年組よりも年下である…一応、更に年下に後述の武蔵(1584年誕生)がいるが。同郷の左近からも「おじさんと言うほどでもない」と言われていたが、『4』の流浪演舞では久秀・左近らと共におじさん三人組として参陣している。
その他「~だよォ」など、おっとりとした口調で喋るのが特徴。
(字幕テロップでは上記のように語尾にカナカナ+小文字の母音を付けた形で表記される。)
しかし、この口調は意図的に作ったもので、家康をはじめとする目上の人物に対しては普通に会話している。
また、史実通り愛煙家であるらしく、一部イベントには史実における長煙管の逸話の再現や、喫煙者の権利を訴えるなど、煙草にまつわるものが幾つか見られる。
(その割にはこの人のように実際に彼が煙管を吹かしている姿は今のところ描かれていない)
戦闘スタイル
専用武器は、刀身が身の丈以上もある大きな太刀。
人を殺さない、斬らない「活人剣」を心情としているためか、鞘に収めた大太刀を振り回して相手を打つのが基本のアクションとなっている(刀を収めている鞘は人を殴り殺せるほどの打撃武器である事にツッコんではいけない)。
なお史実では宗矩が提唱した「活人剣」に人を殺さない、斬らないという意味はない。
「活人剣」に人を殺さない、斬らないという意味がついたのは明治維新以降の話である。
皆伝や殺陣などでは抜刀し、目にも留まらぬ素早い動きで相手を斬りつける。
周囲に無数の斬撃を繰り出す抜刀術は、『真・三國無双』シリーズの周泰にも似ている。
人間関係
柳生庄が豊臣政権の検地により(隠し田が発覚したため)所領を没収されたことによって仕事を無くし、さらにその後の宗矩を匿った豊臣秀次が刑死してしまったこと、また何より彼の唱える、「皆が笑って暮らせる世を作る」という理念が実の伴わない言葉であり、綺麗事であると感じている為に豊臣秀吉の事が大嫌い。いざ対峙すれば「お宅、笑えないんだ。寒いんだよォ」と、普段のおおらかな性格からは想像できない冷たい言葉を吐き捨てることも。
一方で、石田三成の軍師で秀吉を評価している島左近とは大和出身の同郷であり友人でもある。
『4』では当初、松永久秀に仕えている(史実にて父・宗厳が久秀の家臣であったことが由来と思われる)。
その後は織田信長討伐のために明智光秀に協力し、光秀没後は徳川家康の息子・秀忠に仕える。
ゲーム中では柳生内の忍者集団である裏柳生を率い、家康の密命を受けて各地で流れの剣士と身分を偽って徳川家の為に暗躍する事が多い。どちらかと言うと息子っぽい活躍である。
同じく「人を活かす剣」を求める宮本武蔵からは内面の政治家気質を見抜かれていることもあってか、「あんたは結局、剣を人斬りの道具に使って、そこに意味を持たせようとしているだけじゃないのか」と自身の剣術を否定されている。一方で宗矩も「人を活かす剣」を「実のない理想」と批判しており、武蔵を「坊や」と呼び精神的な幼さを揶揄することもあるため、険悪なムードを醸し出す。更にそこに武蔵を追ってきた佐々木小次郎も二人の言い争いに加わり、余計に話を拗らせていることも。
関連タグ
→柳生宗矩(史実)