概要
小学4年からサッカーを始め、御影工業高校時代は1年からインターハイ出場、1、2年時には全国高校選手権出場。3年では兵庫県選抜入りし、島根国体で優勝。
高校卒業後の1983年、松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)に入団。
4年目からポジションを奪い、89-90年度には15ゴールを決める活躍でリーグのベストイレブンに選出。1990年7月27日、第1回ダイナスティカップの韓国戦で先発出場して日本代表デビューを果たし、国際Aマッチ4試合に出場。
1993年のJリーグ開幕では浦和レッズ戦に先発出場し勝利。
5月26日の清水エスパルス戦でJリーグ開幕後初ゴール、6月5日、神戸ユニバー記念競技場で行われた名古屋戦にてハットトリックを達成した。
1994年1月、日本代表への復帰を目指して、清水エスパルスへの移籍が発表。
1995年、阪神・淡路大震災に見舞われ、実家も全壊した。そのシーズン途中、「神戸を勇気づけたい」と当時ジャパンフットボールリーグ所属でJリーグ準会員のヴィッセル神戸に移籍。
1996年には17ゴールを挙げ、Jリーグ昇格に貢献。
2000年11月26日、現役ラストの試合となった三浦知良擁する京都戦で途中出場から決勝ゴールを決めた。
引退後はヴィッセル神戸の技術アドバイザー、日本サッカー協会のJFAアンバサダー、スポーツコメンテーターとしてフジテレビ系列、CS放送J SPORTSの解説や毎日放送(MBSラジオ)のパーソナリティー、読売テレビ『雨スポ』に出演。
またフジテレビの夕方のニュース番組のスポーツコーナーのキャスター、を長年務めた。
2015年4月6日、日本のサッカーを世界基準へ引き上げるための論文作成のため日本大学大学院総合社会情報研究科に入学。2017年には国際情報の修士号を取得を取得。
2016年から日本サッカー協会国際委員会委員も務める。