概要
CV:武内駿輔(『THE FIRST SLAM DUNK』)
2年、186cm、背番号13(1年)→9、GF。
渾名:小坊主
バッシュ:アシックス ポイントゲッターL
山王工業2年生。山王のエース。
人物
驚異的な身体能力と1on1のスキルを持ち、1年時から日本高校バスケット界の王者である山王工業のエースを務める高校No.1プレイヤー。
身体能力やオフェンス力、ディフェンス力はいずれも流川・仙道をも上回る超一流だが、花道曰く「負けたことがないため、沢北の頭の中にはパスという選択肢はない」。
1年時からエースとして活躍し全国制覇を経験。アメリカへのバスケ留学を控えた2年生の夏、インターハイ2回戦で湘北と対戦し、1on1のスキルで圧倒するが、それが流川の才能をさらに開花させる。
わがままで自己顕示欲も強いが、性格はいたって素直。チャレンジ精神も旺盛で、壁が高いほど燃える性質である反面、そういった目標が無ければやる気が落ちてしまう。試合中でもそういった集中力にムラがあり、些細なミスをしてしまうことも多々ある(作中でも流川に興味を示して話し掛けていた時に、一之倉からのパスに気付かずぶつけられる形で取り損ねている)。
部内では「山王バスケ部始まって以来の二枚目」と言われているようで、河田曰く、女の子からファンレターも来ている。
「バスケ狂」と呼ばれたテツ沢北(本名「沢北哲治」)の子として生まれ、生まれてすぐに自分と同じ大きさのバスケットボールをプレゼントされた。幼少期にはすでにバスケの才能を開花(子供用のバスケットゴールでリバースダンクを決めるなど)させており、テツは才能を伸ばすために借金をしてバスケットコートのある家を購入し、それからはテツと1on1(早朝と夕方)をすることが日課となっていた(中学入学までずっと父に負け続けていた)。
小学校ではバスケクラブがなかったため中学から部活でバスケを始めたが、父との1on1で並みの中学生では歯が立たないほどのバスケの高い実力で先輩達をコテンパンにしてしまい、期待に満ちていた当初から一転してあまりのレベルの低さに落胆して生意気な態度を取るようになり、それによって先輩達によるいじめに遭い、学校の裏庭などで暴行を受けていた。
高校では山王に進学し、深津や河田など最高峰のチームメイトに恵まれたが、全国優勝を成し遂げたことで次の目標を見失って練習に身が入らなくなっていた。それを見かねた堂本監督がテツに相談すると、彼からアメリカ遠征を提案される。そこでレベルの高いアメリカのバスケに触れたことでアメリカへのバスケ留学を決める。
深津からはすぐ泣くと言われており、河田に失言して逆エビ固めやヘッドロックを食らってシクシクと泣いたり、中学時代に先輩に暴行された際も泣いていた。また、映画「THE FIRST SLAM DUNK」では、湘北に負けた後その場では泣かなかったが、ロッカールームでだれよりも悔しがりながら涙していた。
仙道には北沢と誤って覚えられていた。その仙道とは中学時代に対戦経験があるが、ただ一人勝てなかった相手と、その強さを流川に伝えている(試合中に流川はその「北沢」が「沢北」であることを確信し、間違えた仙道に怒っていた)。
名前の由来は、昭和プロ野球伝説の名投手沢村栄治であると思われる。
映画「THE FIRST SLAM DUNK」でその後が描かれ、流川に宣言した通りにアメリカでバスケをプレーしており、渡米後にフォワードからガードにポジションをコンバートしたようで、中村記者からの取材には「PGとしては自分でいきすぎてしまってまだまだ」と返している。ラストでは同じく渡米した宮城リョータのチームと対戦しリョータとマッチアップしている。