概要
本名:白羽秀樹(1943年~2021年)
彼を題材に、梶原一騎は漫画『キックの鬼』(作画:中城けんたろう)、『キック魂』(作画:南波健二)、『格闘王V』(作画:みね武)の原作を手掛け、『キックの鬼』はテレビアニメ化された(OP・EDとも沢村自身が歌っている)。
来歴
1945年、一家で日本に引き揚げ港区青山(東京都)に居を構えた。母方の祖父から剛柔流空手道や中国武術を習う。少年時代は児童劇団「劇団そらまめ」に所属し子役として舞台に立っていた。
1958年、青山中学校3年生の時、「新東宝スターレット」のオーディションに募集し「城哲也」の芸名でデビューする。
1961年、法政大学第一高等学校を卒業。新東宝が倒産し芸能活動は休止。
1962年、新東宝の元社長・大蔵貢が設立した大映に就職。研修の一環として日本大学芸術学部映画科に入学し、脚本家を目指していた。大学時代は剛柔流の全日本学生選手権で優勝し、60戦無敗だった。
1966年、大学を卒業。野口修に誘われて大映を退社し、野口ジムに入りキックボクシングを始める。
4月に日本キックボクシング協会が旗揚げされ、リングネームを“沢村忠”として参戦。
大阪府立体育館で行われたデビュー戦は“空手vs.ムエタイ”と銘打たれた試合で、ラークレイ・シーハーマンを2RKO勝利。
6月にはリキパレス(力道山の建てた総合スポーツ・レジャー・ビル)で、ムエタイのルンピニーフェザー級8位のサマンソー・アディソンと対戦したが、16度のダウン(19の報道もあり)を奪われ25ヶ所以上の打撲を負い、4RKO負けを喫する。
この敗戦を元に、「真空飛び膝蹴り」や「飛び前蹴り」を武器にKOを重ね、活躍。
1973年には三冠を達成したプロ野球の王貞治(読売ジャイアンツ)を抑え、日本プロスポーツ大賞を獲得した。
1976年7月2日に最終試合を行い、翌年の10月10日に引退式を行った。最終成績は、241戦232勝(228KO)5敗4分(一説には500戦以上戦歴があるともされている)。
引退後は自動車の修理販売業・パチンコ台販売会社の常務取締役の傍らで子供達に空手を教えていた。
2021年3月26日、肺がんのため千葉県内の病院で死去。享年79(満78歳没)。2020年夏頃より体調を崩し、療養する日が増えていたという。
関連項目
サワムラー:沢村忠をモチーフにした『ポケモン』のキャラクター。
帰ってきたウルトラマン:第27話「この一発で地獄へ行け!!」で郷秀樹の知り合いとして登場。
変身忍者嵐:第36話「耳をふさげ!地獄の叫び声だ!!」ではなんと時空を飛び越え、仙人百地三太夫の弟子となっていた。