生駒線の概要
生駒駅(奈良県生駒市)から王寺駅(同県北葛城郡王寺町)までを結ぶ。営業キロ12.4km。このうち複線区間は生駒駅~南生駒駅・萩の台駅~東山駅の区間となっている。
全列車普通のみの運転で、運転間隔は全線通しで15~20分間隔。朝と夜の時間帯ではそれに加えて生駒駅~東山駅間の区間運転の列車も設定されている。
使用車両はワンマン運転に対応した4連の1021系・1031系。かつては小型車である820系・400系などが使用されていた。
信貴生駒電鉄によって建設された路線を近鉄が買収したもので、信貴生駒電鉄自身の計画では自社で建設した「枚方線」(現在の京阪交野線)の私市駅まで延伸直結するはずだったが、結局生駒~私市間は未成線となった。
もしこの区間の建設ができていた場合、生駒駅は生駒線が奈良線・けいはんな線と立体交差する構造の駅になっていたと思われる。
王寺駅で同じ近鉄の田原本線の新王寺駅と接続し、改札外乗り換えとはなるが、運賃は通しで計算される。これは田原本線の逆側の西田原本駅と橿原線田原本駅も同様の扱いになっており、生駒駅から(西)田原本に出る際は、大和西大寺経由でも王寺経由でも同運賃となる。ただし生駒線経由の方が距離は短いが、所要時間は西大寺経由の方が基本的には早い。
勘違いされがちだが王寺線ではない。
信貴生駒電鉄の歴史的経緯から見ても、王寺駅から生駒駅へ向けて延伸していった路線である(近鉄の路線名の付け方は、延伸先の終端駅名を路線名にしていることが多い)。
なお信貴山下駅では、信貴山駅へ伸びていた東信貴鋼索線(後述)が接続していた。
駅一覧
駅番号 | 駅名 | 読み | 乗り換え路線 |
---|---|---|---|
G17 | 生駒 | いこま | |
G18 | 菜畑 | なばた | |
G19 | 一分 | いちぶ | |
G20 | 南生駒 | みなみいこま | |
G21 | 萩の台 | はぎのだい | |
G22 | 東山 | ひがしやま | |
G23 | 元山上口 | もとさんじょうぐち | |
G24 | 平群 | へぐり | |
G25 | 竜田川 | たつたがわ | |
G26 | 勢野北口 | せやきたぐち | |
G27 | 信貴山下 | しぎさんした | |
G28 | 王寺 | おうじ |
東信貴鋼索線
信貴生駒電鉄時代の1922年に開業した、山下駅(旧・信貴山下駅→信貴山口駅を経て現・信貴山下駅)から、信貴山真言宗総本山朝護孫子寺近くの信貴山駅までを結ぶケーブルカー。
しかしながら、開業からわずか8年後に現在の西信貴鋼索線の前身・信貴山急行電鉄鋼索線が信貴山口駅〜高安山駅間で開業。西信貴鋼索線に比べて傾斜がより急なものの、信急鉄道線とのセットで大阪市内から信貴山への近道となったため、客足はそちら信急線へ流れていってしまう。
1944年1月7日に信急線が不要不急線に指定され休止になると、東信貴鋼索線ルートが再び信貴山への唯一の鉄道利用ルートになったが、近鉄に信急が合併されてからの1957年3月21日に西信貴鋼索線の運行が再開され(信急鉄道線は廃止)、対信貴山アクセスのメインは2通りに戻る。
そして1964年、信貴生駒電鉄はついに近鉄に併合され、近鉄は対信貴山アクセスに2つのケーブルカーを持つことになったが、沿線が大阪のベッドタウンにならんとしていた東信貴鋼索線は、どちらかといえば、地元の通勤・通学の足としての性格が強まっていった。
結局、1983年8月31日に東信貴鋼索線は廃止され、奈良交通によるバス路線へ転換されたが、のちに両端が延伸され、王寺駅〜信貴山下駅〜西和清陵高校前〜信貴山門の路線となり現在にいたる。
車両は、藤永田造船所製のコ9型が使用されていた。コ10は解体されたものの、コ9は信貴山下駅前にて静態保存されている。
駅はどちらも奈良県生駒郡三郷町に所在していた。
関連項目
信貴線···西信貴鋼索線についてもこちら。