第六一駆逐隊
だいろくじゅういちくちくたい
第六一駆逐隊(または第六十一駆逐隊)とは、大日本帝国海軍が主に佐世保鎮守府籍の駆逐艦で編成した駆逐隊の一つである。編成は一代限り。1942-44。
開設時、佐世保鎮守府では25駆、26駆、28駆が欠番であったが、艦隊防空を主任務とする秋月型により構成したため、敢えてこの名称にしたものと考えられる。後日霜月・冬月(のちに当駆逐隊より涼月・若月(戦没後書類上)が移籍)により構成された、横須賀鎮守府籍の秋月型による駆逐隊も「第四十一駆逐隊」と命名されている。(但し、この41駆は2代目で、初代は戦中の第九駆逐隊である。)
※もし日米開戦が遅れていた場合、当駆逐隊は「第二五駆逐隊」を襲名する予定だった。
開戦前の25駆は第八駆逐隊と名を改め横須賀鎮守府籍となっている。
1942年10月、秋月・照月で新規編成。第三艦隊第十戦隊に属す。しかし、秋月は第四水雷戦隊、照月は第二水雷戦隊にそれぞれ引き抜かれ秋月損傷、照月戦没。
43年1月、涼月・初月就役。直ちに当駆逐隊に編入。(同時に照月除籍。当駆逐隊の編成は「秋月・涼月・初月」となる。)
直後、当時第十戦隊臨時旗艦を務めていた秋月が潜水艦により損傷し本土帰還。後に41駆に編成される建造中の姉妹艦「霜月」の船体を切り離して秋月に移植する「修理」が行われた。(このため、一時的に秋月は本駆逐隊を除籍。)
8月、第十一水雷戦隊にて錬成を終えた若月が当駆逐隊に編入。
10月末、修理を終えた秋月が再編入され、「秋月・涼月・初月・若月」の編成となる。
44年1月、司令駆逐艦涼月が米潜雷撃により損傷した(当時秋月は阿賀野に代わり第十戦隊旗艦)。
6月、マリアナ沖海戦において本隊・甲部隊、第一航空戦隊護衛の任に就く。「秋月・初月・若月」。なお、隊未成で十戦隊付の霜月も当海戦に従事している。
8月、涼月復帰。10月、再び涼月損傷し修理のため戦線離脱。
10月、レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)。「秋月・初月・若月」が小沢艦隊に属し、うち、秋月・初月戦没。
11月、第三次多号作戦にて「若月」戦没。同時期「涼月」復旧、戦線復帰。
11月15日、解隊され「涼月・若月(書類上在籍)」は第四十一駆逐隊に編入された。
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「天霧だ。今年も来たねぇ、艦これ開始記念日。まぁ日付一つとっても各々にそれぞれ意味がある。サンジョルディ、人民解放軍海軍創設記念日、そして……色々謂れはあるが、各々にとって大事な意義があるという意味でどれも正しい。そこは否定しちゃなんねえよな。まぁ一つ言うことがあるとすれば……呂布は踏みつぶす。というわけで、御笑覧いただこうかねぇ」 「いやはや、傍から見ても感涙ものだな。実装2年目にしての成長ぶりが実にE(イー)」 「随分サマになってきたよな、そのライトべらんめえ口調」 「ヘソフェチの読書バカ人魚は後で踏みつぶす」 「何で俺だけ!?」 【追記】2019年7月11日に本文微修正。自分はフリオ・リャマサーレスじゃないので新しい段落でひとマス開いてないのはチェック不足です、すみません(泣)。4,712文字pixiv小説作品