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第四一駆逐隊

だいよんじゅういちくちくたい

大日本帝国海軍の横須賀鎮守府籍の駆逐艦による駆逐隊。2代存在する。 トップ絵は、2代41駆現状唯一の秋月型の実装艦「涼月」の「改」のもの。
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史実概略


初代(昭和13年~昭和14年)


「隊」としては昭和19年10月まで存在しているが、初代41駆としては昭和13年2月から翌年11月まで。
朝潮型駆逐艦中期ロットの朝雲・山雲・夏雲・峯雲により編成。
昭和14年11月に第九駆逐隊に改名。

開戦時は第二艦隊第四水雷戦隊に所属。
緒戦のリンガエン上陸作戦において山雲が損傷除籍され横須賀鎮守府付を経て第四駆逐隊に編入。
サボ島沖海戦にて夏雲戦没、ビラ・スタンモア海戦にて峯雲戦没。
昭和18年4月、可動艦が朝雲単艦となり吹雪型白雲・薄雲(新編時第十二駆逐隊)を編入し第五艦隊第一水雷戦隊に編入。
キスカ島撤退作戦に朝雲・薄雲が参加。
昭和18年9月、解隊された第十八駆逐隊より霞を編入。同年10月末朝雲が第十戦隊第十駆逐隊に転出し、編成時の所属艦は全て戦没または転出となった。
昭和19年3月、霞の僚艦不知火編入、同月白雲戦没。同月末第十八駆逐隊と改名。
同年7月、薄雲戦没。レイテ沖海戦にて志摩艦隊に所属。第一次多号作戦で戦没した鬼怒捜索にあたった不知火が戦没した。
単艦となった霞は第2次・第4次多号作戦の指揮艦(第一水雷戦隊臨時旗艦)として活躍したが、昭和19年11月15日に18駆も解隊し第7駆逐隊に編入された。
一方、第41駆逐隊(初代)の流れをくむ朝雲はレイテ沖海戦では10駆解隊後山雲が編入された4駆に属し、同隊(朝潮型:朝雲・山雲・満潮(開戦時8駆)/陽炎型:野分)の朝潮型は西村艦隊、野分は栗田艦隊(第十戦隊第17駆逐隊隷下)に属し、それぞれの戦場において戦没した。

二代(昭和19年~終戦)

マリアナ沖海戦に第十戦隊附属であった霜月が参戦。
昭和19年9月15日、秋月型駆逐艦霜月・冬月により編成。
レイテ沖海戦では小沢艦隊に属し、霜月が参戦。(冬月は直前に61駆涼月ともども修理中)
霜月が三十一戦隊旗艦に引き抜かれ直後戦没。(以降、隊司令は置かれず)
昭和19年11月15日の第六一駆逐隊解隊を受け、同隊の涼月・若月(直前の11月11日、第3次多号作戦で戦没、編入は書類上のことである)を編入。
昭和20年3月、2代目の隊司令(前43駆司令、開戦時の風雲艤装員長)を迎え、健在艦は涼月・冬月。
この編成で同年4月の菊水作戦(大和特攻作戦)に従事。涼月大破、冬月中破ながらも両艦佐世保に帰投。
その後、同型艦の宵月・夏月を編入。大破した涼月が同隊を除籍。
昭和20年8月15日付で坊ノ岬沖海戦での僚艦雪風(当時第17駆逐隊。開戦時第16駆逐隊)を編入した。

艦隊これくしょん~艦これ~において

初代

初代41駆は「第九駆逐隊」として認知されている。
同隊所属艦娘は、朝雲(艦隊これくしょん)山雲(艦隊これくしょん)と編入された霞(艦隊これくしょん)不知火(艦隊これくしょん)(いずれも開戦時及び解隊時第十八駆逐隊)。
前者は戦没時の西村艦隊で語られることが殆どで、いくら朝雲が「第九駆逐隊は有名でしょ?」と台詞を述べてもなかなか認知してもらえない模様。
後者の編入組は、解隊時も18駆であったこと、9駆編入が台詞等に全く出てこないことなどから、この隊にいた事自体あまり知られていないようである。

二代

二代41駆は、長らく終戦時に編入された雪風(艦隊これくしょん)がいたのみで、坊ノ岬沖組の2名の実装が待望されていたが、このうち涼月(艦隊これくしょん)が2017年11月に実装された。
涼月で実装される時報ボイスで冬月に話しかけ、その中で41駆と言う他、改のデザインで姉妹共通だったペンネントが更新。白地に金文字で「第四十一駆逐隊」(ただし、右から左へ)となっている。なお、彼女は坊ノ岬沖組の一員ではあるが、坊ノ岬沖スタイルではない

関連

初代41駆 = 第九駆逐隊 朝潮型 吹雪型(未実装) 陽炎型(不知火)
二代41駆 秋月型 第十戦隊 第二水雷戦隊 坊ノ岬沖組
    涼月(艦隊これくしょん) 雪風(艦隊これくしょん)

史実関連

初代:朝雲 山雲 夏雲 峯雲
(改称後編入: 白雲 薄雲  不知火)
2代:涼月 霜月 冬月 宵月 夏月

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