概要
歴史上英雄と呼ばれる人々は精力旺盛のため女好きである、という意。
一人の女性に入れ込む男はしょせん小物だ、という愛妻家への軽蔑の意味が込められている場合もある。(もっとも愛妻家であることとスケベであることは両立することもあるが。)
色恋の価値観は変わるものであり、これも時代によって意味合いが変わることわざである。
歴史上の王侯貴族や武将の多くが側室や愛人を持っていたことが知られるが、子孫を絶やさないためであって、女好きであったとは限らない。
歴史上において
語源や出典は不明であるが、福沢諭吉と速記者の談話『福沢先生浮世談』(1898年)に「或は又英雄(エイユウ)色(イロ)を好(コノ)むと云ひ心身屈強な者は必ず色に溺れると斯う云ふ」とあり、確認できるうちでは初出とされる。
かつては「男の甲斐性」、「芸の肥やし」などと言われ、妾を囲ったり女遊びを恥じない者もいたが(五島慶太、勝新太郎、三木武吉、伊藤博文、渋沢栄一など)、当時でも倫理的にどうなのかと議論の的になっていた。
現代の価値観では当然アウトである。不倫が露見した際に「不倫は文化※」と居直ったと世間に見なされてしまった石田純一のように炎上は免れない。
※当時スポーツニッポン(スポニチ)の記者が記事に付けた見出しに端を発するものであり、石田本人は直接言ってはいない(ソース)。
よく引き合いに出される人物
歴史上の人物
- 豊臣秀吉:正室のねね(高台院・北政所)のほかに、多くの側室を持ったことで知られている。
- ナポレオン・ボナパルト:最初の妻ジョゼフィーヌ、次の妻マリー・ルイズの他、何人もの愛人がいたとされる。そんな彼の女性に纏わる名言は「女とパリは留守にしては駄目だ」。ちなみに甥のナポレオン3世も若いころから派手な女性関係で知られていたとのこと。