概要
興誠高校(現在の浜松学院高校)卒業後、芸能界を志し東京アナウンス学院に進学。その後ワタナベエンターテインメント所属となった。
2004年に俳優としてデビュー。しかし、なかなか知名度は上がらず、タレントとしてバラエティ番組に出演する機会が多くなる。
2006年から出演したフジテレビ『クイズヘキサゴンⅡ』にて珍回答を繰り返す「おバカキャラ」としてお茶の間に浸透する。
その後、カシアス島田こと島田紳助プロデュースでつるの剛士、上地雄輔と共に羞恥心を結成。デビューシングルの「羞恥心」は2008年のシングルCD売上5位に輝き、また同年の紅白歌合戦で瞬間最高視聴率を獲得した。
しかし、2009年に羞恥心の活動休止や事務所独立騒動などが重なり、活動量が激減。同年7月に自身の芸能活動休止を発表し、同時に『ヘキサゴン』も卒業という形で降板した。
2010年4月にワタナベエンターテインメントから退社した方が発表され、その数日後に舞台への出演で復帰することが告知された。
復帰以降は舞台を中心に俳優として活動を続けている。しかし、バラエティやメジャーなドラマなどへの出演はほとんどなく、メディアへの露出は少ないままとなっている。
詳しい渡航時期は不明であるものの、2022年6月時点ではアメリカ在住であり、秋にはアメリカの映画に出演予定であると公表している。2021年ごろからはライブ配信アプリ「BIGO LIVE」を利用したライバーとしての活動が中心となっている。
人物
ヘキサゴンファミリーからの愛称は「ノック」。
「羞恥心」の中では一番年下。ブレイクが「羞恥心」であることや、強烈なキャラクターを持つ他の二人に比べると「地味」という印象を持たれるようなことも少なくなく、また非常に真面目でストイックな一面もあり、つるの剛士や島田紳助からは呆れられつつも心配されていた。
「羞恥心」の「恥」担当のため「一番カッコ悪い」とネタにしていたことがある。
小学生の頃から野球を始め、高校時代は野球部のキャプテンを務めていた。
もともとはプロ野球選手志望で、一時は中日ドラゴンズのドラフト候補にも名前が上がっていたほどであるが、高校三年生の甲子園で全国大会出場を逃してしまったことで野球を諦めた。
デビュー前は複数のオーディションを受けており、『ASAYAN』の「男子ヴォーカリストオーディション」に参加していたことがあると公表している。また「ヒーローになりたい」という思いから『爆竜戦隊アバレンジャー』や『魔法戦隊マジレンジャー』のオーディションを受けたこともあったが、どちらも落選している。
ヘキサゴンファミリーとは番組卒業後も仲が良く、たびたび集まって親睦会が行われている。
ブレイクの直前、『Qさま』の「日本潜水選手権」企画に出場し、当時の日本記録となる116mを樹立している。
独立の経緯についてははっきりしていないが、過去のブログでは自身の芸能活動について、同世代の俳優たちと比べて思い悩んでいたような記述があり、方向性の模索という面があったと見られる。また、紅白出場が決まった際にも事務所社長のブログでなぜか触れられていなかった(他の落選したタレントについては言及があった)ことが確認されている。