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1945年(昭和20年)の終戦後 アメリカ軍によって持ち込まれたディーゼル機関車。当時の日本の鉄道は戦争末期の空襲によって、すでに鉄道の運行が困難な状況であると想定されたため、在日米軍の輸送用として自前で車両を用意した。そのためフィリピンの軍用鉄道で運用されていた6両を転用、および2両の同型機が新製され、米陸軍8500形として8両が日本に上陸した。

原型はGE社の44トンスイッチャーをもとに軍用アレンジを加え自重は47トンとなり、狭軌仕様として製造された(勿論欧州方面用などに、標準軌仕様車も製作されている。準軌車は原型の44t機同様の台車を装備し、連結器も台車装荷ではなく車体装荷である)。非常に扱いやすく、また部品も米国製の一般的な工業製品で構成されていたことから整備も容易だった。

運転に至っては、鉄道兵とかでない全くの素人の兵士を3日教習させるだけで運転士として働かせることが可能なように作られていた。日本では国鉄の機関士が乗務したのではあるが。

構造としては電気式でありアメリカでは一般的なものである。しかし当時高水準の米国製工業製品であることから、日本国内では信頼性の低さから試作の範疇にとどまっていたディーゼル機関車への認識を改めさせるには十分すぎるものであった。また、そのデザインもDD11DD13へと模倣されている。

日本では横須賀周辺など在日米軍基地の内外で使用され、連合国の占領統治終了後の1956年(昭和31年)に国鉄に5両、名鉄に2両、八幡製鉄所に1両が払い下げられた。

国鉄籍に編入された5両はDD12形へと改称。その後も米軍基地付近での運用に終始し、1972年(昭和47年)まで運用されて休車になり、1974年(昭和49年)に全車が除籍・解体となった。

名鉄譲渡車は小牧基地などで運用された後、築港線に転用されて1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では被害を受けて動けない電気機関車に代わり昼夜問わず活躍したが、1965年(昭和40年)に廃車になって再びフィリピンに渡り、その後1978年まで使用された。

八幡製鉄所譲渡車も1967年(昭和42年)に廃車・解体処分されて日本国内に姿はとどめないが、世界各地で運用されたことから保存鉄道などに同型機が少数残る。

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