M-4
えーむちとぅぃーりぇ
東西冷戦時代に旧ソ連のミャスィーシチェフ設計局が開発した、初期のジェット爆撃機。
爆撃機としては未完成なところが幾つかあるが、その存在は西側諸国に「ボマーギャップ論」(東側はもうすげー高性能な爆撃機を大量に揃えているのでは?という不安)を巻き起こした機体である。
本機の開発のきっかけとなったのは東西冷戦。
アメリカがB-47やB-36、或いはB-52といった高性能な戦略爆撃機を揃えて東側への威圧感を高めているのに、こちらは何もできない!という危機感から生み出された爆撃機である。
一応当時もTu-2などの爆撃機はなくはないわけだったが、ジェット戦闘機時代ではとても戦力として使えるものじゃあない。
だが当時のソ連にはある意味での「切り札」があった。
第二次大戦中に不時着したB-29をリバースエンジニアリングして作った大型爆撃機、Tu-4である。
まあこのTu-4自体もコピーが完全ではなく、特にインテグラルタンクが不完全なものでしかなかったため航続距離はそれほど伸びなかった(但し片道特攻ならアメリカ本土を爆撃することは十分可能だったと言われている)が、
それでも「長距離爆撃機」の研究材料としては十分なものであった。
かくしてTu-4という「習作」で長距離爆撃機の作り方をものにしたソ連は、そのノウハウを活かして西側に対抗できる爆撃機を模索し始めた。
この中で「次世代の戦略爆撃機」として、"ちょっと古くても枯れていて安定した技術を用いた機体"と、"多少不安定なのは承知のうえで先進技術を取り入れた機体"の2つが企画された。
前者は何を隠そうTu-95、そして後者こそがM-4である。
(但し「枯れた技術」で作ったTu-95は、周知の通り「世界最速のプロペラ機」であり、エンジンのNK-12MVに至っては未だに世界最強のターボプロップエンジンではあるが…こんな"枯れた技術"があってたまるか)
だが、あまりに先進的な技術を多用したのが災いし、航続距離が「戦略爆撃機としては短すぎる」などの問題点を多数抱えていることが発覚。
このため「主力爆撃機」の座はTu-95が射止め、M-4は空中給油機などに改造され後方支援に回ることとなった。
…本機の名誉のために言っておけば、後方支援は戦場において非常に重要であるし、何より先述の通り「どうだ!ジェット爆撃機だぞ!」ということで西側諸国を大いにビビらせて威圧感を与えたという意味では、決して無意味な機体ではなかっただろう。
(実戦投入が無くとも存在だけで危機感を相手に与えた例としては、アメリカのB-58もあげられる)